うごけん 羽後県 | |
基本情報 | |
---|---|
国 | 大日本帝国 |
地方 | 東北地方 |
面積 | |
総人口 | 1,228,000人 |
隣接都府県 | 陸奥県 陸中県 陸前県 羽前県 |
羽後県庁 | |
知事 | 佐竹 敬久 |
県庁所在地 | 秋田市? |
羽後県領域 | |
733年(天平5年)、出羽柵は秋田へ移設され、760年には秋田城に改称された。この頃、出羽国府も秋田に移設されたが、蝦夷の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北征服の一大拠点となった。
878年(元慶2年)、出羽国の蝦夷である夷俘が朝廷の苛政に対して蜂起して秋田城を襲った。苦戦し鎮圧は難航したが、藤原保則が寛政によって鎮撫して終息した。エミシの地方豪族の力は強大になっていった。
律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、奥州の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にし、その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。
878年(元慶2年)、出羽国の蝦夷である夷俘が朝廷の苛政に対して蜂起して秋田城を襲った。苦戦し鎮圧は難航したが、藤原保則が寛政によって鎮撫して終息した。エミシの地方豪族の力は強大になっていった。
律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、奥州の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にし、その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。
その後、奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまで栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。しかし、隆盛を極めた藤原氏も鎌倉幕府を創設した源頼朝が平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討し、さらに奥州合戦を行った。藤原泰衡は平泉から逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られた。
藤原氏を倒した頼朝は、御家人、地頭職を新たに東北各地に配した。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであり、また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族は、藩政期まで当地を治めることとなる。
藤原氏を倒した頼朝は、御家人、地頭職を新たに東北各地に配した。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであり、また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族は、藩政期まで当地を治めることとなる。
その後、日本海北部に勢力を持った安東氏が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏、前田氏、本堂氏、六郷氏、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ、由利十二頭と呼ばれる勢力になった。
由利郡は、安東氏、小野寺氏、大宝寺氏、最上氏らの間にあったが、それぞれの勢力が領域支配を確立してくると、これらの影響により各勢力に属し相争うようになった。
特に比較的大きな勢力であった仁賀保氏と矢島氏は長年にわたり幾度も合戦を繰り返した。一時は、十二頭のほとんどが大宝寺氏の傘下に入り安東氏や小野寺氏に対したが、大宝寺氏の衰退とともに最上氏の影響が強まった。
豊臣秀吉の天下統一に際しては、由利十二頭は由利衆として仁賀保氏、赤尾津氏、滝沢氏、打越氏、岩屋氏、下村氏、石沢氏、禰々井氏が、1591年(天正18年)にそれぞれ知行を安堵された。由利衆は、豊臣政権により安東氏の秋田実季のもと隣郡之衆として、材木切り出し及び廻漕の軍役を負担させられた一方で、文禄の役では大谷吉継の指揮下に入り、関ヶ原の戦いでは秋田実季と行動を共にした。江戸時代に入ると仁賀保氏、打越氏が幕臣に、滝沢氏、岩谷氏、石沢氏が最上氏家臣になり、赤尾津氏は改易された。最終的には仁賀保氏が大坂の陣での功績により仁賀保藩を創設し、領主としての地位を保った。
特に比較的大きな勢力であった仁賀保氏と矢島氏は長年にわたり幾度も合戦を繰り返した。一時は、十二頭のほとんどが大宝寺氏の傘下に入り安東氏や小野寺氏に対したが、大宝寺氏の衰退とともに最上氏の影響が強まった。
豊臣秀吉の天下統一に際しては、由利十二頭は由利衆として仁賀保氏、赤尾津氏、滝沢氏、打越氏、岩屋氏、下村氏、石沢氏、禰々井氏が、1591年(天正18年)にそれぞれ知行を安堵された。由利衆は、豊臣政権により安東氏の秋田実季のもと隣郡之衆として、材木切り出し及び廻漕の軍役を負担させられた一方で、文禄の役では大谷吉継の指揮下に入り、関ヶ原の戦いでは秋田実季と行動を共にした。江戸時代に入ると仁賀保氏、打越氏が幕臣に、滝沢氏、岩谷氏、石沢氏が最上氏家臣になり、赤尾津氏は改易された。最終的には仁賀保氏が大坂の陣での功績により仁賀保藩を創設し、領主としての地位を保った。
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