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kingzeputozeta 2024年06月23日(日) 15:55:51履歴
T-65主力戦車は第四インターナショナル連邦共和国人民解放軍地上軍が運用していた主力戦車。ソビエト連邦のT-62主力戦車などを参考に開発された最初の国産戦車であり、射撃管制システムについてはアメリカのM48主力戦車を、足周りに関してはソビエト連邦のIS-4重戦車を参考にして開発された。1976年までの12年間で1800両あまりが生産され、1970年代の人民解放軍地上軍の機甲戦力の中核を担っていた。第3世代主力戦車の登場以後は旧式化が目立ったものの、改修を受けつつ歩兵部隊の火力支援などに用いられ、就役から半世紀が経った2015年まで現役であった。
1950年代、第二次世界大戦中にアメリカから供与を受けた大量のM4シャーマンの後継戦車として、メキシコ陸軍はT-55の導入を決定した。T-55の戦闘重量は40t未満と軽量で当時のメキシコの貧弱なインフラでも比較的容易に運用でき、生産コストも低廉であり、なおかつ仮想敵であったガルマニア軍の戦車に対して攻防性能で優越していると考えられたためだった。しかし、T-55のライセンス生産型であるT-59が就役し始めると、様々な問題が露呈した。当時のメキシコの安全保障環境においては攻勢作戦よりも防勢作戦の蓋然性が高く、作戦構想上、「戦車」には戦車よりも対戦車自走砲としての役割が期待されていた。このため、ソビエト連邦の攻勢的な軍事ドクトリンに基づく設計のT-59主力戦車は、攻防性能自体は申し分ないものの、長距離射撃能力の低さ、俯角の小ささ、後退速度の遅さが不適格であると見なされた。そこで1959年よりメキシコから技術者が多数ソ連に派遣され、メキシコ陸軍が想定する戦闘環境に適合したオリジナルな主力戦車の開発が進められた。
T-65の開発に際しては、対戦車自走砲としての能力を高める必要性から、特に後退速度をT-59から向上させることが要求されていた。そこで、ソビエト連邦のIS-4重戦車の足回りの機構が参考とされることとなった。重戦車の存在価値を疑問視していた当時のソビエト連邦指導者フルシチョフはメキシコにIS-4重戦車のライセンス生産を許可したが、メキシコ国内で使用するには重量が過大であると判断されたため、軽量化のために車体側面の防御力を妥協し、T-59の車体を50cm程度延長してIS-4の足回りの機構を組み込むこととした。また当初はT-59と同様の100mm砲を搭載する計画だったものの、キューバ革命以来アメリカとも対立が始まると、同国が60年代初頭より配備を始めていたM60パットンに対抗可能な火力が要求されたため、T-62と同じ115mm滑腔砲を搭載することが決定され、ターレットリングがT-62と同様の大きさに拡大された。遠距離砲戦性能については、1955年に試験的にアメリカから数両を導入していたM48パットンの射撃管制システムをコピーすることで改善が図られた。
1962年のラテンアメリカミサイル危機以来、アメリカとの軍事的衝突の蓋然性が高まるにつれ、一刻も早く開発中の新主力戦車を導入することが目指され、開発の加速が求められた。しかしながら、ソビエト連邦はアメリカへの政治的配慮もあり、115mm滑腔砲の技術供与を渋り始めたため、暫定的にT-10重戦車と同じ122mmカノン砲を搭載することとなった。こうした紆余曲折があったものの、1965年、新型戦車の開発が完了すると、すぐにT-65として制式採用され、1966年に量産が開始されると同時に主に北方でアメリカ陸軍と対峙する機甲部隊に配備されていった。
T-65の開発に際しては、対戦車自走砲としての能力を高める必要性から、特に後退速度をT-59から向上させることが要求されていた。そこで、ソビエト連邦のIS-4重戦車の足回りの機構が参考とされることとなった。重戦車の存在価値を疑問視していた当時のソビエト連邦指導者フルシチョフはメキシコにIS-4重戦車のライセンス生産を許可したが、メキシコ国内で使用するには重量が過大であると判断されたため、軽量化のために車体側面の防御力を妥協し、T-59の車体を50cm程度延長してIS-4の足回りの機構を組み込むこととした。また当初はT-59と同様の100mm砲を搭載する計画だったものの、キューバ革命以来アメリカとも対立が始まると、同国が60年代初頭より配備を始めていたM60パットンに対抗可能な火力が要求されたため、T-62と同じ115mm滑腔砲を搭載することが決定され、ターレットリングがT-62と同様の大きさに拡大された。遠距離砲戦性能については、1955年に試験的にアメリカから数両を導入していたM48パットンの射撃管制システムをコピーすることで改善が図られた。
1962年のラテンアメリカミサイル危機以来、アメリカとの軍事的衝突の蓋然性が高まるにつれ、一刻も早く開発中の新主力戦車を導入することが目指され、開発の加速が求められた。しかしながら、ソビエト連邦はアメリカへの政治的配慮もあり、115mm滑腔砲の技術供与を渋り始めたため、暫定的にT-10重戦車と同じ122mmカノン砲を搭載することとなった。こうした紆余曲折があったものの、1965年、新型戦車の開発が完了すると、すぐにT-65として制式採用され、1966年に量産が開始されると同時に主に北方でアメリカ陸軍と対峙する機甲部隊に配備されていった。
T-65の前期量産型であるT-65Aでは、前述した経緯でソビエト連邦から115mm滑腔砲の技術供与を受けられなかったこともあり、暫定的に「CT-65」122mmカノン砲が搭載されることとなった。この122mmカノン砲はT-10重戦車に搭載されたものと同じ設計で、メキシコ陸軍で同時期に導入が開始されたC-60 122mmカノン砲(ソビエト連邦のD-74カノン砲のライセンス生産型)をベースに、戦車への搭載を考慮して改設計を行ったものである。砲身長は、原型となったC-60カノン砲と同じ6350mmで、口径長はおよそ52だった。122mm砲弾は大きく重く、このため装填手の負担を減らすために分離装薬式が採用され、さらにT-65では装填補助装置も搭載されていたが、発射速度は20秒に1発、毎分3発と遅かった。
1971年から生産された後期型のT-65Bでは、主砲が「CT-71」115mm滑腔砲に換装された。これはソビエト連邦のT-64が装備していたものと同じ主砲であり、分離装薬・自動装填式が採用されていた。砲身長は6450mmで「CT-65」よりわずかに長く、口径長はおよそ56だった。搭載されている自動装填装置はソビエト連邦の6ETs10自動装填装置をコピーしたもので、115mm砲弾を8秒に1発、毎分7.5発装填することが可能と、従来の122mmカノン砲と比べて発射速度が2.5倍になっており、この高い発射速度は遠距離砲戦において先に敵に砲弾を命中させるのに有用だと考えられていた。自動装填装置が採用されたため、T-65B以降では乗員の数が3名に減少した。
1971年から生産された後期型のT-65Bでは、主砲が「CT-71」115mm滑腔砲に換装された。これはソビエト連邦のT-64が装備していたものと同じ主砲であり、分離装薬・自動装填式が採用されていた。砲身長は6450mmで「CT-65」よりわずかに長く、口径長はおよそ56だった。搭載されている自動装填装置はソビエト連邦の6ETs10自動装填装置をコピーしたもので、115mm砲弾を8秒に1発、毎分7.5発装填することが可能と、従来の122mmカノン砲と比べて発射速度が2.5倍になっており、この高い発射速度は遠距離砲戦において先に敵に砲弾を命中させるのに有用だと考えられていた。自動装填装置が採用されたため、T-65B以降では乗員の数が3名に減少した。
「CT-65」122mmカノン砲からは、APCBC(仮帽付被帽付徹甲弾)、HEAT(対戦車榴弾)、HE(榴弾)など様々な種類の砲弾を発射することが可能だった。「PB-65」APCBCを利用した場合、500m先で270mm、1000m先で250mm、2000m先で220mmの均質圧延装甲を貫通することができた。しかし、「PB-65」APCBCの貫通力は仮想敵主力戦車に対して不十分と考えられたため、1970年からは、「PB-69」APDS(装弾筒付徹甲弾)の供給が始まった。「PB-69」APDSを使用した場合、500m先で360mm、1000m先で345mm、2000m先で320mmの均質圧延装甲を貫通することができ、これによりM60パットンの砲塔正面の10インチ(254mm)装甲を想定される交戦距離から容易に貫通することが可能となった。この他、「APEA-65」HEATや「APE-65」HEが供給されており、「APEA-65」は距離に関わらず400mmの均質圧延装甲を貫通することができた。
「CT-71」115mm滑腔砲では、122mmカノン砲と同様に、徹甲弾、対戦車榴弾、榴弾の3種類の砲弾が用意されていた。「CT-71」の最大の特徴としては、従来のAPDSに代わって、APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)の発射が可能となっていたことが挙げられる。
当初T-65Bでは徹甲弾として「PB-71」APFSDSが搭載されていた。「PB-71」APFSDSを使用した場合、500m先で320mm、1000m先で300mm、2000m先で270mmの均質圧延装甲を貫通することができた。「PB-69」122mmAPDSよりも垂直な均質圧延装甲に対する貫通力は下がっているが、APFSDSはAPDSよりも傾斜装甲に対する有効性が高く、実際にM60パットンの砲塔正面装甲に対しては「PB-69」と同様2000m以内であれば問題なく貫通することができ、さらに自動装填装置の導入により前述したように発射速度も向上していることから、実運用上「PB-71」の有効性は「PB-69」を上回ると考えられていた。
1977年からは「PB-77」APFSDSの配備が始まった。「PB-77」では、弾芯の長さが大きく引き伸ばされ、これにより500m先で370mm、1000m先で350mm、2000m先で320mmの均質圧延装甲を貫通することができるようになった。「PB-77」の採用によって、貫通力と手数の双方で115mm滑腔砲が122mmカノン砲を上回ることとなった。さらに1986年からは「PB-86」の配備が始められた。「PB-86」では、仮想敵の第3世代主力戦車に対抗するべく、弾芯全体をタングステン合金で構成しており、これを高初速で発射するために装薬が増された結果、主砲の設計上の限界に近い腔圧で発射されることとなった。「PB-86」では2000m先で420mmの均質圧延装甲を貫通することが可能だった。1993年には、「PB-86」の弾芯を劣化ウラン製に変更した「PB-93」が登場した。「PB-93」では「PB-86」と比べて、装甲貫徹力が1割増しとなった。
一方115mmの対戦車榴弾としては、当初は「APEA-71」HEATが搭載されていた。「APEA-71」HEATを使用した場合、距離に関わらず460mmの均質圧延装甲を貫通することが可能だった。就役当初は、2000m以内の撃ち合いでは「PB-71」APFSDSを、それ以遠の撃ち合いでは「APEA-71」を使用する、というように交戦距離に応じて弾薬を変更し、効果的に対戦車戦闘を行うことが構想されていた。1985年には、新たに「APEA-85」HEAT-MP(多目的対戦車榴弾)が導入されることとなった。「APEA-85」HEAT-MPは、距離に関わらず510mmの均質圧延装甲を貫通可能と「APE-71」より貫通力が微増していることもさることながら、銅製のライナーの周辺に鋼鉄製のペレットを配置することでソフトスキンに対する殺傷能力を高めている点で革新的な砲弾であった。1992年には、その改良型の「APEA-92」HEAT-MPが導入された。「APEA-92」では、ライナーの設計を見直し、さらに中空装甲や爆発反応装甲に対処すべくタンデム成形炸薬弾頭を導入したことにより、「APEA-85」と同等のソフトスキン殺傷効果を有しながら、距離に関わらず720mmの均質圧延装甲を貫徹することが可能となった。
115mm砲用の榴弾としては、当初は「APE-71」HEが搭載されていた。115mm滑腔砲用に設計された「APE-71」は、122mmカノン砲用の榴弾であった「APE-65」と異なり、主砲のライフリングが廃止されたこともあり迫撃砲弾に近い設計となった。これにより弾殻を薄くし炸薬を増すことができ、硬目標に対する打撃力は低下した一方で、ソフトスキンに対する殺傷能力は大幅に向上した。その改良型である「APE-87」HEでは、炸裂時に破片を前方に飛翔させるべく砲弾先端部に鋼製のペレットが追加された。新たにレーザー測距装置が搭載されたT-65Cでは、これらの榴弾用に、レーザー測距装置と連動させることができるマルチモード信管が導入された。これは、着発、遅延、時限、近接の4モードで動作でき、目標までの距離を測距装置で測定するとその地点に到達するまでかかる時間が自動で計算・入力され、これにより目標上空で自爆して曳火射撃を行う機能を有する。これにより、主砲による火力支援の効果を大幅に高めることができた。
「CT-71」115mm滑腔砲では、122mmカノン砲と同様に、徹甲弾、対戦車榴弾、榴弾の3種類の砲弾が用意されていた。「CT-71」の最大の特徴としては、従来のAPDSに代わって、APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)の発射が可能となっていたことが挙げられる。
当初T-65Bでは徹甲弾として「PB-71」APFSDSが搭載されていた。「PB-71」APFSDSを使用した場合、500m先で320mm、1000m先で300mm、2000m先で270mmの均質圧延装甲を貫通することができた。「PB-69」122mmAPDSよりも垂直な均質圧延装甲に対する貫通力は下がっているが、APFSDSはAPDSよりも傾斜装甲に対する有効性が高く、実際にM60パットンの砲塔正面装甲に対しては「PB-69」と同様2000m以内であれば問題なく貫通することができ、さらに自動装填装置の導入により前述したように発射速度も向上していることから、実運用上「PB-71」の有効性は「PB-69」を上回ると考えられていた。
1977年からは「PB-77」APFSDSの配備が始まった。「PB-77」では、弾芯の長さが大きく引き伸ばされ、これにより500m先で370mm、1000m先で350mm、2000m先で320mmの均質圧延装甲を貫通することができるようになった。「PB-77」の採用によって、貫通力と手数の双方で115mm滑腔砲が122mmカノン砲を上回ることとなった。さらに1986年からは「PB-86」の配備が始められた。「PB-86」では、仮想敵の第3世代主力戦車に対抗するべく、弾芯全体をタングステン合金で構成しており、これを高初速で発射するために装薬が増された結果、主砲の設計上の限界に近い腔圧で発射されることとなった。「PB-86」では2000m先で420mmの均質圧延装甲を貫通することが可能だった。1993年には、「PB-86」の弾芯を劣化ウラン製に変更した「PB-93」が登場した。「PB-93」では「PB-86」と比べて、装甲貫徹力が1割増しとなった。
一方115mmの対戦車榴弾としては、当初は「APEA-71」HEATが搭載されていた。「APEA-71」HEATを使用した場合、距離に関わらず460mmの均質圧延装甲を貫通することが可能だった。就役当初は、2000m以内の撃ち合いでは「PB-71」APFSDSを、それ以遠の撃ち合いでは「APEA-71」を使用する、というように交戦距離に応じて弾薬を変更し、効果的に対戦車戦闘を行うことが構想されていた。1985年には、新たに「APEA-85」HEAT-MP(多目的対戦車榴弾)が導入されることとなった。「APEA-85」HEAT-MPは、距離に関わらず510mmの均質圧延装甲を貫通可能と「APE-71」より貫通力が微増していることもさることながら、銅製のライナーの周辺に鋼鉄製のペレットを配置することでソフトスキンに対する殺傷能力を高めている点で革新的な砲弾であった。1992年には、その改良型の「APEA-92」HEAT-MPが導入された。「APEA-92」では、ライナーの設計を見直し、さらに中空装甲や爆発反応装甲に対処すべくタンデム成形炸薬弾頭を導入したことにより、「APEA-85」と同等のソフトスキン殺傷効果を有しながら、距離に関わらず720mmの均質圧延装甲を貫徹することが可能となった。
115mm砲用の榴弾としては、当初は「APE-71」HEが搭載されていた。115mm滑腔砲用に設計された「APE-71」は、122mmカノン砲用の榴弾であった「APE-65」と異なり、主砲のライフリングが廃止されたこともあり迫撃砲弾に近い設計となった。これにより弾殻を薄くし炸薬を増すことができ、硬目標に対する打撃力は低下した一方で、ソフトスキンに対する殺傷能力は大幅に向上した。その改良型である「APE-87」HEでは、炸裂時に破片を前方に飛翔させるべく砲弾先端部に鋼製のペレットが追加された。新たにレーザー測距装置が搭載されたT-65Cでは、これらの榴弾用に、レーザー測距装置と連動させることができるマルチモード信管が導入された。これは、着発、遅延、時限、近接の4モードで動作でき、目標までの距離を測距装置で測定するとその地点に到達するまでかかる時間が自動で計算・入力され、これにより目標上空で自爆して曳火射撃を行う機能を有する。これにより、主砲による火力支援の効果を大幅に高めることができた。
T-65Aでは、遠距離砲戦性能を高めることを目的に、1955年にアメリカから試験的に導入していたM48パットンの射撃管制システムがコピーして搭載された。これは、基線長60インチ(1524mm)のステレオ測距装置と機械式弾道計算機を組み合わせたもので、従来のT-59で採用されていたスタジア・メトリック方式の測距装置(レティクルに付された目盛りの大きさと、目標の大きさを比較することで目標までの距離を概算する測距装置)と比べ、1000m以遠における測距精度が相当向上していた。しかし、この測距装置は使い勝手が悪く戦車兵たちから不評であったため、T-65Bでは、新たに単眼合致式の測距装置が導入された。この単眼合致式測距装置では、500~4000m以内において誤差25m以内で測距を行うことが可能で、精度の点では従来のステレオ測距装置に劣るものの、習熟が容易で、距離の読み取りに必要な時間も短くすることができた。T-65AやT-65Bを近代化改修したT-65Cでは、ルビー・レーザーによるレーザー測距装置が搭載され、さらにアナログ式弾道計算機についても性能の向上が図られた。これにより、照準から発射までの時間を大幅に短縮することに成功、照準してからおよそ3秒で初弾を発射することが可能となった。また、前述したように、レーザー測距装置と連動したマルチモード信管が榴弾に導入され、ソフトスキンに対し曳火射撃などを行うことが可能となった。
暗視装置としては、T-65A、T-65Bでは装置は投光器と受像装置で構成されるアクティブ式暗視装置が採用されていた。T-65Aでは白色光/赤外線投光器が砲塔正面に搭載されており、赤外線投光器によって照らした目標を砲手用の赤外線受像装置で見ることによって、夜間でも最大800m先の目標と交戦することが可能とされていた。T-65Bでは、夜間の索敵能力を高めるため、車長用キューポラにも同様の原理の装備が搭載され、砲手が照準中、車長が次の目標を捜索することが可能となった。しかしながら、優れた暗視装置を備えた仮想敵国の主力戦車相手に赤外線サーチライトを照射して交戦することは自殺行為に等しく、T-65Cでは新たにパッシブ式暗視装置が開発されて搭載された。これはソ連製の微光増幅式パッシブ暗視装置をコピーしたものであり、装甲戦闘車両に対する検出範囲(「何か」が存在すると判明する範囲)は600~700m、識別範囲(「何か」が装甲戦闘車両であると識別できる範囲)は400~500mとされていた。防盾側面に取り付けられた赤外線サーチライトを使用した場合、検出範囲は1200〜1300m、識別範囲は800〜900mに広がった。
さらなる近代化改修を想定し、1980年代後半にT-65Cをベースに試作された第2次近代化改修の試作車では、砲手用サイトの暗視装置が微光増幅式パッシブ暗視装置から熱線映像装置(サーマルイメージャー)に変更されており、これにより、戦車大サイズの目標に対する検出範囲は2500m、識別範囲は1500m程度にまで向上した。熱線映像装置は、倍率3倍、倍率12倍の切り替え式となっており、通常は倍率4倍の状態で索敵、目標を発見次第、倍率を12倍に切り替えて照準することとされていた。しかし、T-65そのものの旧式化が著しくなっており、中途半端な近代化改修を行うよりも、新型戦車の開発製造に注力すべきであるとの結論が出されたことから、この改修は行われなかった。
暗視装置としては、T-65A、T-65Bでは装置は投光器と受像装置で構成されるアクティブ式暗視装置が採用されていた。T-65Aでは白色光/赤外線投光器が砲塔正面に搭載されており、赤外線投光器によって照らした目標を砲手用の赤外線受像装置で見ることによって、夜間でも最大800m先の目標と交戦することが可能とされていた。T-65Bでは、夜間の索敵能力を高めるため、車長用キューポラにも同様の原理の装備が搭載され、砲手が照準中、車長が次の目標を捜索することが可能となった。しかしながら、優れた暗視装置を備えた仮想敵国の主力戦車相手に赤外線サーチライトを照射して交戦することは自殺行為に等しく、T-65Cでは新たにパッシブ式暗視装置が開発されて搭載された。これはソ連製の微光増幅式パッシブ暗視装置をコピーしたものであり、装甲戦闘車両に対する検出範囲(「何か」が存在すると判明する範囲)は600~700m、識別範囲(「何か」が装甲戦闘車両であると識別できる範囲)は400~500mとされていた。防盾側面に取り付けられた赤外線サーチライトを使用した場合、検出範囲は1200〜1300m、識別範囲は800〜900mに広がった。
さらなる近代化改修を想定し、1980年代後半にT-65Cをベースに試作された第2次近代化改修の試作車では、砲手用サイトの暗視装置が微光増幅式パッシブ暗視装置から熱線映像装置(サーマルイメージャー)に変更されており、これにより、戦車大サイズの目標に対する検出範囲は2500m、識別範囲は1500m程度にまで向上した。熱線映像装置は、倍率3倍、倍率12倍の切り替え式となっており、通常は倍率4倍の状態で索敵、目標を発見次第、倍率を12倍に切り替えて照準することとされていた。しかし、T-65そのものの旧式化が著しくなっており、中途半端な近代化改修を行うよりも、新型戦車の開発製造に注力すべきであるとの結論が出されたことから、この改修は行われなかった。
T-65A及びT-65Bでは、砲塔上部には12.7x99mm弾を使用するAme-40重機関銃(アメリカのM2重機関銃のコピー品)、主砲同軸には6.98x57mm弾を使用するAme-46汎用機関銃(ドイツのMG42機関銃のコピー)を搭載していた。それぞれ装弾数は300発と1500発だった。改修型のT-65Cでは、主砲同軸機銃がAme-73(ソ連のPK機関銃のコピー)に変更された。使用する弾薬や装弾数については、T-65AやT-65Bと同様であった。
T-65の装甲配置は、模倣元となったT-55やT-62と比較すると、砲塔正面の厚みを増す代わりに車体正面下部の厚みを減らすといった変更が行われており、対戦車自走砲としての最適化が図られていた。T-55のライセンス生産型であるT-59では砲塔正面が210mmの鋳造装甲であったのに対し、T-62では砲塔正面は250mmに強化されており、T-59から据え置きとなった車体正面の60度傾斜100mm装甲と共に、2000m以遠であれば初期の105mmAPDSの貫通を阻止できる性能であった。一方、対戦車自走砲として運用する際には被弾率が低いと考えられた車体正面下部の装甲は60度傾斜の50mm、砲塔側面と後面の装甲は80mmと、T-59と比べると大幅に薄くなっており、機関砲に対する防御のみ想定した装甲となった。車体側面上部の装甲は80mm、車体側面下部及び後面の装甲は30mmで、T-59とほとんど同じであった。
T-65の装甲防御力は1970年代に入ると完全に不十分なものとなっており、近代化が必須とされた。まず、T-65Bでは、仮想敵の105mm戦車砲が発射する強力な成形炸薬弾に対する追加装甲として、雑具箱を兼ねた中空装甲が砲塔全周に装備可能となった。さらにT-65Cでは、ソ連の「コンタークト-1」を元に第四インターナショナル連邦共和国が独自開発した「BR-87」爆発反応装甲が取り付け可能となった。「BR-87」の基本的な構造は「コンタークト-1」とほとんど同等で、化学エネルギー弾に対し、均質圧延装甲換算250mm相当の防御力を発揮することが可能とされた。通常、前方を中心に227基が取り付けられ、取り付けた場合は1.5t重量が増加した。
T-65Aの乗員は4名で、車長、砲手、装填手は砲塔に、操縦手は車体に搭乗することとなっていた。T-65B以降では、自動装填装置の採用によって装填手が減らされ、車長と砲手が砲塔に、操縦手が車体に搭乗することとなった。車体および砲塔は完全な与圧式CBRNE防護装置を備え、NBC兵器によって汚染された環境下でも行動可能であった。
T-65のエンジンはソビエト連邦のT-10重戦車と同じV型12気筒の4ストロークディーゼルエンジンが搭載されており、出力は750馬力であった。これによりT-59と比べると車体重量が6t近く重くなっていながら、出力重量比では約16.1から約17.9と大幅に向上していた。これによって、T-65では整地であれば時速60km、不整地であっても時速35kmで走行することが可能で、T-59と比べて走行速度は2割増しになっていた。T-65とT-59の最大の差異は変速機の設計であり、T-59では非常にコンパクトな変速機が採用されていたのに対し、T-65ではT-10重戦車と同じ変速システムが採用されており、前進時に使用する主変速機から完全に独立した逆転機が備え付けられている点が特徴的であった。この特別な変速システムの採用により、T-65では機構上は前進速度と同じ速度で後退することが可能となった。しかし、実際のところ、後述する転輪と履帯の都合から、後退速度は最大時速15kmに制限されていた。それでも、不整地においてT-59の3倍近い時速15kmで後退可能であるという戦術的特徴は、T-65の対戦車自走砲としての価値を大幅に高めており、特に当時の人民解放軍が想定した、圧倒的に優勢な敵機械化部隊に対する遅滞防御戦闘において活躍することが期待されていた。
T-65では、T-59の車体を延長して車体設計を行ったことから、転輪・懸架方式・履帯については概ねT-59と共通化されていた。転輪は起動輪1輪、誘導輪1輪、走行転輪6輪から構成されており、大直径の走行転輪が履帯を安定させるという上部支持輪の役割を兼ねていた。しかし、この単純な形式の転輪を採用したことで、後進時に履帯の引っ張られる向きが変わることによる履帯挙動の変化を制御することが難しくなり、変速機の機構上は前進速度と同じ速度で後退することが可能であるにも関わらず、実運用上は後退速度が時速15kmに制限されることとなった。T-76以降の車両では上部支持輪が追加されたことでこの問題が解決された。懸架方式もT-59と同じトーションバー式が全転輪で採用されており、サスペンションのトラベル長は上限150mm、下限135mmの合計285mmで、T-59と同等の走破性能を発揮できた。履帯もT-59と共通化されており、マンガンを豊富に含有する高強度鋼で製造され、その全幅は580mmと幅広で、低い設地圧による高い走破性を実現した。シングルドライピン方式で接続されるのも同じであったが、T-65では車体が延長されたことにより履帯の枚数は片側が90枚から108枚へと増加した。
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