1982年、カタガルガン=マハルリカ社会主義連邦はキリバス共和国に対して宣戦布告をしたがその時にはすでに
カタガルガン=マハルリカ社会主義連邦海軍が動き出しておりその三日後にはキリバス共和国への攻撃が行われた。もともと国力にも兵数にも差があったためにキリバス共和国はわずか二日の抵抗の末に降伏。軍隊は全滅した。
降伏後は本国より派遣された総督による統治が行われることとなった。総督はタガログ・ファシスト党の党員が任命されているため、親衛隊が護衛として随伴してきており、軍管区内の反体制派の粛清を開始した。安定を取り戻すまでの10年の間で粛清された人数は2000人を超えており、全人口の55分の1が殺されたことになる。