1244年に確認されている歴史的文書の中初めてベルリンという名称が使用される。
1448年にブランデンブルク辺境伯がベルリンに宮殿を移した。
その後
1618年から
1648年までの30年戦争で人口の半分を失う。
1709年にプロイセン王国の首府となり
1871年にはプロイセン国王のヴィルヘルム1世が皇帝となって成立したドイツ帝国の首都となる。
1873年には日本の岩倉使節団が、
1882年には日本の憲法作成の為の調査に伊藤博文がやってくる。
第一次世界大戦の敗北でドイツ帝国が崩壊し、
ヴァイマル共和制の首都となる。
当時もベルリンはヨーロッパの芸術・学問の中心として栄えるがその一方で政治的に社会主義・共産主義も広まっており
1928年の選挙では社会民主党とドイツ共産党の票が50%を超える。
これは
1933年の
ナチス・ドイツによる政権奪取まで続く。
第二次世界大戦時には、イギリスによる首都爆撃やソビエト連邦による逆進行等で12.5万人の市民が犠牲となる。