地理
太平洋に突き出た房総半島の南端に位置する。東岸は東京湾に面し、南岸から西岸にかけては太平洋に面し、三方向を海に囲まれている。古来より東京湾口部という地政学的な立地に着目し、海上交易や軍事戦略の要衝の地となっていた。
南部は、平久里川・加茂川のそれぞれの流域に発達した安房平野・長狭平野があり、北部は、起伏に富んだ丘陵地帯となっている。
源平合戦
当時の安房国の豪族には、平群郡の安西氏や安房郡の神余氏、また朝夷郡の丸氏、さらには長狭郡に長狭氏や東条氏がいたとされている。とくにこの地域は、鎌倉時代から室町時代にかけて安西氏の勢力圏とされ、なかでも平松城をもつ三芳・池之内を拠点にしていた安西景益は、源頼朝が石橋山の戦いに敗れて安房へ逃れてきたとき、安房国衙の在庁官人であった。安西氏は、保元・平治の乱以前から神余氏や沼氏、朝夷郡の丸氏らとともに源氏の家人であり、安房郡の西部地域にいた豪族とされている。
頼朝が石橋山の戦いで敗北し、伊豆から安房に逃れてきた際には、平北郡の猟島に上陸したといわれている。その地域は源氏方の三浦氏が安定した支配を展開しており、再起を図る頼朝にとっては軍事的に好都合な立地であった。