人民シネマとは
朝鮮人民共和国に存在する唯一の映画会社である。1938年に国営企業企業として設立されて以降様々な映画を作り上げてきたがその大半がプロパガンダや朝鮮神人としての教育映画であり娯楽という意味での映画は近年まで存在していなかった。
しかし、
朝鮮中央委員会のメンバーだったアン・ユリが無類の映画好きであり、国外の映画をいくつも保有していた。そんな彼は朝鮮でも楽しめる映画を作りたいと考えていた。そこで彼は人民シネマの社長を兼任する事で映画作りに必要な土台を築き上げる事に成功した。特等神人という事で多額の私財を持っていた彼はそのほとんどを投じて娯楽用の映画作成に乗り出した。当初こそ他の委員会メンバーや社員に不審がられていたがメンバーにはプロパガンダ映画もきちんと作る事で合意させ社員には国外の娯楽映画を見せる事でその有用性を説明した。
社員たちのやる気を出し、作り上げた最初の映画「ヤン・カンイン」は最初の映画という事もあり興行収入はそれほど得られなかったが人民シネマが面白い映画を作り始めているという噂が広まる結果となり次回作の「ヨンエの恋歌」は人民シネマトップの興行収入をたたき出す結果となり、現在に至るまで他の追随を許さない数値となっている。
しかし、
朝亜戦争後のクーデターでアン・ユリはクーデター軍によって射殺され、ソウルにあった人民シネマも鎮圧時の砲撃で倒壊し、多数の社員が死ぬ事態となった。現在は生き残った社員たちによる復興が行われている。とは言え彼らは即座にドキュメンタリー映画「朝亜戦争〜その日朝鮮は真実を目にした〜」を放映するなど唯一の映画会社としての意地を見せている。現在は撮影中だった2本の映画両方の撮影を中止
*1し、別の映画を年内に撮影開始出来るようにすると発表している。