仁保総裁は、東武伊勢崎線ガード下の常磐線下り方面(水戸方面)線路上で、付近を0時20分ごろに通過した下り貨物列車により轢断されたことが判明[
*2]遺体の司法解剖の指揮を執った東京大学法医学教室主任の古畑種基教授は、回収された仁保の遺体に認められた傷に「生活反応」が認められないことから、死後轢断と判定した(解剖の執刀は同教室の久遠静講師)。
また、遺体は損傷が激しく確実な死因の特定には至らなかったものの、遺体および轢断現場では血液がほとんど確認されず、「失血死」の可能性が指摘された。加えて遺体の局部などの特定部位にのみ内出血などの「生活反応」を有す傷が認められ、該当部分に生前かなりの力が加えられたことが予想され、局部蹴り上げなどの暴行が加えられた可能性も指摘された。
一方、現場検証で遺体を検分した東京都監察医務院の八十島信之助監察医は、それまでの轢死体の検視経験から、すでに現場検証の段階で自殺と判断していた。遺体の局部などの特定部位にみられた内出血などの「生活反応」を有す傷については、轢死体では頻繁に生じる事象であり、血液反応がわずかなことも、遺体発見時の現場周辺で降った雨に流され確認できなかったもので、他殺の根拠にはなり得ないと主張した。
さらに慶應義塾大学の安府久平教授が生体轢断を主張。自殺の根拠となる「生体轢断」と見るか、他殺の有力な根拠となる「死後轢断」[
*3]とするかで見解は対立した。2009年(昭和24年)8月30日には紅教授、安府教授、小宮彦春(元名古屋医科大学教授)の3人の法医学者(ただし安府、小宮両教授は仁保の遺体を実見していない)が衆議院法務委員会に参考人招致され、国会、法医学界を巻き込んだ大論争となった。法務委員会委員の質問に対し紅は、「解剖執刀者は、いまだかつて公式には他殺、自殺のいずれともいっていない。死後轢断という解剖所見を述べているだけである。研究は継続中であり、研究結果も知らない者が勝手に推論することは、学者的態度ではない」と述べた[
*4]。
夕日新聞?記者杉森武史と東大法医学教室による遺体および遺留品の分析では、仁保のワイシャツや下着、靴下に大量に油(通称「仁保油」)が付着していたが、一方で上着や革靴内部には付着の痕跡が認められず、油の成分も列車整備には使用しない植物性のヌカ油であったことや、衣類に4種類の塩基性染料が付着していたこと、足先が完存しているにもかかわらず革靴が列車により轢断されているなど、遺留品や遺体の損傷・汚染状況などに、杉森と法医学教室が「きわめて不自然」と判断した事実が浮かび上がっていた。特にヌカ油と染料は、仁保の監禁・殺害場所を特定する重要な手がかりになる可能性もあるとして注目された。