昭和維新とも呼ばれた一連の改革は、帝国議会において立憲民政党、立憲政友会の二大政党制を築き上げた。先の第一次世界大戦で戦勝国となり、国際連盟で常任理事国となった日本は、国際社会においても発言力を持った。欧米諸国に対する強硬姿勢は、アジア諸国の注目を集めた。
1937年には、革新ブームが起き、革新党が総選挙で過半数を獲得し、日本史上初の革新政権が誕生し、柊木内閣が誕生した。柊木政権では、財閥の寡占や軍部の政治介入を批判し、注目を集めた。1939年に保守派による暴動が起き、負傷したことで辞職したが、革新ブームを起こした柊木の人気は薄まらず、その後の社会党結成などに影響を与えた。
1940年にはアジアで初の東京オリンピックが開かれ、日本中が歓喜に包まれる。また、1940年代から50年代にかけて高度経済成長により、経済規模が世界2位となった。
1947年に日本社会党が過半数を占め、片山内閣が組閣された。社会党政権では、社会福祉改革が進められ、財閥の一極集中を解消するなど一定の成果はあったものの、1949年に財閥問題等で片山内閣は総辞職した。1955年に分裂していた保守勢力が保守合同し、保守政友党が成立。同年の選挙で圧勝し、政権を奪取した。1950年代になると、日本赤軍や、日本共産党による共産主義運動が活発化するなど、テロや事件が多発した。
高度経済成長後の1960年代以降、
東海道新幹線?の開通など、世界に先駆ける鉄道先進国としても発展する。1960年代までに国鉄などにより、多くの鉄道路線が開通し、世界随一の路線網を持つ国となった。
1970年代には、田中角栄内閣による日本改造計画が進められた。しかし、例の事件で頓挫する。
1980年代以降、インターネットの誕生や、電子機器の進化により、インターネットの世界が作られる。これらは1990年代後半頃には確立し、その後のネット世界に繋がっていった。
また、80年代頃から国鉄の杜撰な管理体制が露見し、当時の政権により改革が行われ、国鉄分割民営化が行われた。(しかし、民営化は一部のみであった)