架空国家を作ろう 第1.1世界線 - 長門県
ながとけん
長門県
基本情報
国
大日本帝国
地方
中国地方
面積
㎢
総人口
人
隣接都府県
石見県
周防県
豊前県
(海上)
長門県庁
知事
大内 民
県庁所在地
下関市
?
長門県領域
概要
地理
地形
地域区分
歴史
県名の由来
古代
中世
概要
長門県
(ながとけん、英:Nagato Prefecture)は、
大日本帝国
の中国地方に位置する県。県庁所在地および最大の都市は
下関市
?
。本州最西端に位置しており、三方を海に囲まれている。江戸時代には、長州藩が置かれていた。
地理
地形
南側を瀬戸内海(周防灘)、西側と北側を日本海(響灘)と、三方を海に囲まれ、その中央部を中国山地が横断している。
地域区分
地域区分
中心都市
下関広域都市圏
下関市
?
長北広域都市圏
長門大津市
萩広域都市圏
萩市
?
宇部広域都市圏
宇部市
?
歴史
県名の由来
長門は、古くは「穴門、穴戸(あなと)」と呼ばれた。『日本書紀』によれば、650年(大化6年)穴戸の国司が白雉を献上した。665年(天智4年)には長門国が初見される。この間に改められた。 穴門とは関門海峡を指しており、日本神話にも「穴戸神」の名が見える。古墳時代に成立した穴門国造の領域と阿武国造の領域をあわせて、7世紀に穴戸国が設置された。7世紀後半に長門国に改称した。明治維新の際、長門国の名称がそのまま県名となった。
古代
海を隔てて朝鮮半島と向かい合う位置に在るので、古代には外交・防衛上重視され、古代日本では重要な位置を占めた。陸奥国と同じく、辺境の要地であったため他国より格上という特別扱いを受けた。
中世
平安時代末期には、源氏と平氏が権力争いを展開した時代の末期、平氏の知行国であった中で厚東氏、豊田氏の両氏が勢力を伸ばし、1185年には壇ノ浦の戦いの舞台ともなった。厚東氏は、後に源氏方に転じ、壇ノ浦の戦いでの軍功が認められ、厚東郡主となった。
鎌倉時代の1276年(建治2年)に鎌倉幕府が元寇に対処するため、長門国に設置した最前線防衛機関である長門探題が置かれた。弘安の役では、長門国でも戦闘があったとされる。
1333年(元弘3年)、全国的に鎌倉幕府への反旗が上がり、九州では幕府の重要機関である鎮西探題が激しい攻撃を受けた。そのため、当時の長門探題北条時直は鎮西探題の救援に向かったが、到着前に鎮西探題は滅亡してしまい、時直は豊前国柳ヶ浦で降伏、鎌倉幕府における長門探題の歴史もここに幕を閉じた。