中島飛行機 | |
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種類 | 株式会社 |
市場 | 東証1部 |
略称 | 中島 |
本社所在地 | 大日本帝国 東京都 |
設立 | 1917年(大正6年) |
業種 | 航空機産業 |
代表者 | 中村 朋美 |
資本金 | 5000億円 |
利益 | 8,000億円 |
総資産 | 200億円 |
従業員数 | 139,800人 |
決算期 | 3月31日 |
1917年(大正6年)、元海軍大尉の中島知久平によって、上野県新田郡尾島町(現上野県太田市)に設けられた飛行機研究所が中島飛行機の原点である。のちに飛行機研究所は日本飛行機製作所と改称され、さらに中島飛行機製作所を経て1931年(昭和6年)12月15日に中島飛行機株式会社となった。
1918年(大正7年)には陸軍向けである中島初の国産航空機たる中島式一型1号機が完成。このうち、2号機が初飛行を行うも安定性が悪く大破し、続く試作機も不具合が続出した。しかし1919年(大正8年)、中島式四型6号機が完全な飛行に成功、同年には陸軍から中島式四型20機を受注。これは民間メーカーにとって日本初の航空機受注であり、晴れて中島は航空機メーカーとして軌道に乗り、以後企業規模を拡大し日本最大の航空機・航空エンジンメーカーとなっていった。
1918年(大正7年)には陸軍向けである中島初の国産航空機たる中島式一型1号機が完成。このうち、2号機が初飛行を行うも安定性が悪く大破し、続く試作機も不具合が続出した。しかし1919年(大正8年)、中島式四型6号機が完全な飛行に成功、同年には陸軍から中島式四型20機を受注。これは民間メーカーにとって日本初の航空機受注であり、晴れて中島は航空機メーカーとして軌道に乗り、以後企業規模を拡大し日本最大の航空機・航空エンジンメーカーとなっていった。
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