はがちょう 波賀町 | |
基本情報 | |
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国 | 大日本帝国 |
地方 | 中国地方 |
行政区画 | 播磨県 |
郡 | 宍粟郡 |
面積 | 161.30㎢ |
総人口 | 4,800人 |
町長 | 中村 義明 |
波賀城は、弘長年間にこの地域の有力者であった芳賀七郎によって創築された。平安時代、この地域は石清水八幡宮の荘園となっており、伯可荘と呼ばれていた。芳賀氏はこの荘園の開発領主として勢力を張っていたものと思われる。芳賀七郎は鎌倉初期の武士であったが、その後ー武蔵国出身の中村氏に領主の座を取って代わられている。その後、中村氏は播磨守護赤松氏等に属して戦国時代を生き抜き、二十代吉宗に至るまで約三百年間波賀の地を守り続けた。1580年(天正8年)には羽柴秀吉によって播磨は平定され、波賀城は不要の城となった。天下が治まり江戸時代となると宍粟郡は山崎藩領となり、山崎城に藩庁が置かれると波賀城は完全に歴史の舞台に戻ることはなくなった。
1889年(明治22年)4月1日 町村制が施行され、宍粟郡西谷村・奥谷村が成立。
1956年(昭和32年)9月30日 西谷村・奥谷村が合併して発足。
1889年(明治22年)4月1日 町村制が施行され、宍粟郡西谷村・奥谷村が成立。
1956年(昭和32年)9月30日 西谷村・奥谷村が合併して発足。
- 波賀森林鉄道
1918年(大正7年)に着工され、1922年(大正11年)に全区間24 kmが完成して使用開始された。町の中心部にある上野貯木場と音水を結ぶ路線が幹線であったが、各谷に入る支線もあり、その先に索道を設けて谷間や高低差を克服し、その先でさらに線路が延びていた。
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