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国旗
国家情報
満州道
国家夜去大神国
公用語夜去語
桜島語
簡体中文
日本語
首都長春市
最大の都市長春市
道知事補佐明刻征
面積1,191,000平方キロ
通貨夜去円

概要

満州道は遼寧、吉林、桜宮桜咲の一府一県一荘からなる大神国の地方行政組織である。過去に日本に占領されたもののその後の第二次大逆事件などで奪還した土地でもあり、その影響で現在でも日本の文化が色濃く残っている地域でもある。広大な土地には、様々な資源などが眠っており耕作などにも頻繁に用いられるほか外蒙古、内蒙古、満州からなる「本土地域」では唯一海に面しており大神国をアジアの海洋覇権国とするに必要な機能を多くになっている。歴史上は、モンゴル族の遺伝的な「始祖」である古モンゴル族が誕生した土地とされ、アジアとりわけ日本列島などへのヒトの移動の中継点となった一つの場所とされている。
また、現在でも遊牧民が多く存在しており大神国の2018年国勢調査では大神国全国民2億3000万人中の1200万人が遊牧民でそのうち800万人が満州地域で生活しているとされており、新モンゴル族時代からウルハン族へと引き継がれてきた独自の慣習や食文化が体験できる。
政治は、その歴史上の特異性や本土との民族構成の違いなどから道といわれる府県荘より権力がある道が置かれその下に各行政組織が属する。道の長は代々道内に荘園を持つ桜宮家が権力を持たない知事として儀礼的に務め、その補佐という名目で実務を行う権力を有する知事補佐を選出する形である。現在の道知事は大神国の地方行政区分で唯一知事職務の実務者が夜去民族ではない知事実務者である。
道府は長春市に設置され、長春市が位置する吉林は吉林府と称され政治の中心地のみならず道の文化や経済の中心地の役割も課す。実際に、吉林府は4大都市の一つであり周囲の三市一町と吉林大都市圏を構成している。
遼寧県沿岸部には工業地帯や軍港が広がり主に重化学工業が盛んに行われている他、大神国の各地に石油を送る原油パイプラインの始点の一つがここに設置されているほどの工業都市である。ここは南大神、月美とともに三大重工業地帯に指定され、手厚い保護などを受けている。人口は現在1億874万人を擁し、大神国の全人口の50%が居住しており、そのうち800万人余りは遊牧民族である。
鉄道交通は皇立鉄道南満州支局、北満州支局が国によって設置されている他南満州鉄道株式会社など私鉄も存在している。広大で重工業を外洋だけでなく内陸で行う大神国にとっては鉄道は非常に重要な技術となっており、特に内陸で製造した製品の輸出には南満州鉄道が大きな役割を果たしている。
航空交通は、道内に13の大中規模空港と20の小規模空港が存在し、特に長春国際空港は世界に有数の旅客取扱設備を持つ大規模空港である。また、船舶交通も工業地帯を中心として大規模港湾が設置されており、積み荷の搭載や荷下ろしの拠点だけでなく、世界の貨物輸送のハブ拠点としての役割も果たしている。公安組織は国家公安委員会第13委員会に所属する南満州鉄道警備隊が実施するが、国家公安局の採用枠で行われ隊員教育も国家公安局で実施されるので実態は国家公安局の満州支局と行った具合である。
国防では大神国の重要な海上戦力拠点だけでなく、その広大さや重要性などが挙げられる。防衛は神居防衛管区の直轄であり5万人の兵員から構成される第10方面防衛隊と1万人から構成される即防第一機動戦隊が陸上部歌いとして駐屯している。また、艦艇は第三艦隊、第一〜五方面水雷戦隊などが母港として使用しているなど非常に重要な防衛拠点となっている。

略史

紀元前9000年頃にはすでに最古の遊牧民族である古モンゴル族が居住していたとされている。ただ、古モンゴル族について残っている最初の記録は紀元3000年頃の東ウルハン族に記されている。紀元6400年頃には遼河文明が栄え、その後は古モンゴル族によって統治されるなど混沌を極めていた。古モンゴル族が紀元1300年頃に途切れるとツングース系諸民族や南方諸民族が進出してこれらの興亡の地となった。
満洲の南部には濊貊族が建てた夫余(前1世紀から5世紀)、夫余の王族が建てたとされる高句麗(前1世紀から7世紀)、靺鞨族の建てた渤海(698年から926年)など、モンゴル系とされる鮮卑の前燕・後燕などや契丹の遼(916年から1125年)なども存在した。チベット系の氐族の立てた前秦(351年から394年)の支配が一部及んだ事もある。12世紀には靺鞨の子孫とされる女真族が金を建国、遼と北宋を滅ぼして中国北半分をも支配するに至る。ウルハン帝国のリー王朝が1350年頃に金を滅ぼす形で満州に進出しそれ以来ここには一貫してウルハンによる支配が置かれることとなる。
ただ、1600頃から金を支配した女真族を改称した満州族が反乱を起こし、帝国の治世を脅かしたのち1650年頃に南側の地域を占領する形で後金を建てた。後金は1700年代まで拡大と縮小を繰り返し最終的に後継者が帝国によって暗殺されたため再び帝国に組み入れられた。
1820年代には満州族に源流を置く清族が反乱を起こし清を建国した。当初は満州中部に建国された清だったが、大逆事件などを通して南下と縮小を余儀なくされた。この清は縮小を続けながらも1950年代まで存在したが大京付近まで南下したのち大東亜に滅ぼされ、大東亜に吸収された。
また、近代の17世紀になると、ロシア帝国の南下の動きが激しくなり、ロシアと清朝との間でこの地域をめぐる紛争が数度起きた(清露国境紛争)。ヴァシーリー・ポヤルコフやエロフェイ・ハバロフなど、ロシア人の探検隊が黒竜江流域に南下・侵入し、村落を焼いたり捕虜をとったり毛皮を取り立てたりして植民地化の動きを見せたため、これを追い出し国境を定める必要が生じた。1689年にネルチンスク条約が締結され、国際的にも満洲全域が正式に清朝の国土と定められた。その後、清朝はロシアの脅威に対抗するため、兵士を駐屯させる。しかし、王朝全体として弱体化した末期帝国はロシアの侵入を許してしまい、北部満州は1930年代にロシアに割譲された。このことがきっかけで帝国の弱体化に拍車がかかった。南満州は大神国の殖産興業の中心地とされ、1800年代前半から蒸気機関の導入など機械化に激しかった。特に植民地を含む広範な帝国領土で取れる資源を活用した重工業製品が栄え、大神国の経済を支えた。
一方、1904年の日露戦争が勃発すると北部満州と朝鮮は日本の支配下に置かれることとなり、南満州鉄道など北満州の主要な鉄道や鉱山地帯はすべて日本の権益となった。その後日本は南満州の完全な統一を目論見度々国境付近で大神国軍と衝突していた。
北満洲におけるロシア権益は保持されていたが、一次大戦やロシア革命の混乱により支配力は低下し、ロシア革命に対する干渉戦争として行われたシベリア出兵により、外満洲属するウラジオストクを連合軍が、北満洲及び外満洲の大部分、さらにはバイカル湖周辺までを日本軍が占領する事になった。1920年には日本占領下のニコラエフスクを赤軍パルチザンが襲撃し、破壊と住民虐殺が行われ6,000人余りが処刑され、日本人も700人余りが殺戮された(尼港事件)。日本以外の連合軍は1920年に、日本は1922年に撤退し占領は解除された。
ソビエト連邦は東清鉄道の経営権をロシアから継承していたが、1928年に満洲を実効支配する張学良政権はこの権益の武力による略奪を行おうとした。これに対しソ連は権益地を有する北満洲に侵功、占領し、中華民国軍を破り鉄道の権益を確保し、権益を再確認する協定を結んだ後撤退した(中東路事件)。
1931年に日本(大日本帝国)は自ら起した柳条湖事件を契機に、権益地が含まれる南満洲のみならず満洲全域を侵攻、占領し、翌1932年に満洲国を建国した(満洲事変)。満洲国は清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀を元首(執政、のち皇帝)とした。これは清朝最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀の退位後の仕事として、日本軍から半ば強制的に割り当てられたものであった。満洲国は事実上日本の支配下となり、傀儡政権と呼ばれることになった。1972年に大逆事件が終了し帝国の後継である夜去大神国が領土回復戦争である「復幸戦争」を開始した。日本軍は善戦したものの大神国軍は70万を超える大規模な兵力と米英から供与を受けた先端兵器で満州に侵攻し再び満州を自らの支配下においた。1987年には歴史的経緯から満州地域全域の大神国支配の正当性が国連により認可されて国際的にも正式に大神国の領土となった。
大神国は占領後第二期殖産興業政策として重化学工業や重工業地帯を次々と南満州沿岸に建設したり、移民推奨、税制緩和、耕作支援、軍備拡大に伴う大口発注、インフラ整備などを実施し満州地域の経済を底上げした。これは、満州地域の飛躍的な発展に貢献するとともに大神国全体の経済を底上げすることとなりベトナム戦争に伴う特需などとともに大神国の経済を飛躍的に発展させ大神国を大国たるにたらしめた。

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