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D-100型内燃機関車は1961年から皇鉄蒸機50型の更新を目的として作成された皇立鉄道公社のディーゼル機関車である。この車両は従来の機関車から登坂性能を大幅に改良するために超大出力のエンジンを搭載し、月美山脈超えやその他の登坂区間で活躍をした。1961年から1975年までに合計で1127両(大東亜国鉄分を含めると1900両あまり)作成され、皇鉄の無煙化を推し進める最大の要因となったほか皇鉄が作成した機関車の中で最も多くの数が製造された。
現在でも月美兎西線や大東亜国鉄において使用されている。
皇鉄D-100型内燃機関車

大東亜国鉄所属の本型機*1
種別大型内燃機関車
設計皇立鉄道公社鉄道技術室
製造桜島機関製造
神居工場
南京工場
上海工場
月美工場
月美列車製造
大東亜国鉄機関車工場
ケープランド工場
ナイジェリア工場
ボゴダ工場
運用大神国皇立鉄道公社
大東亜国営鉄道
京岡急行軌道(現京岡急行電鉄グループ)
京岡急行電鉄貨物輸送
京岡鉱山鉄道
神居鉄道株式会社
海上自衛部鉄道運輸部
ナイジェリア国鉄
南アフリカ国鉄
などなど
運用状況現役
主要諸元
軸配置Bo-2-Bo
重量82t(0番台〜300番台)
90t(400番台〜1400番台)
85t(2000番台)
最高速度0番台〜300番台:95km/h
400番台〜1400番台:110km/h
2000番台:105km/h
動力伝達方式液体式

概要

1930年代から配備が開始された皇鉄蒸機-50型の更新車両として開発され、1960年から製造が開始された液体式大型内燃機関車である。1967年に幹線無煙化方針が皇鉄から示されると、後に配備が開始されるD-120型内燃機関車とともに幹線部のみならず亜幹線部でも1976年までに急速に蒸気機関車を幹線区間から排除することに繋がった。
比較的起伏の少ない神居↔大京間などの路線の運用を想定して作成されたD-90型は、防砂塵性こそ優れているものの冬、特に雪が積もる線区での登坂力は低く加えて価格も高く、廉価で大出力の機関車の開発が急務となった。これにより、本型は大出力なエンジンと液体変速機を備えて、車体の強度を妥協し、廉価で大出力の車両を作ることを念頭に開発された。また、スペースには一定の余裕をもたせ今後の改修などで冗長性をもたせた。このことが後述する本型機関車の大量製造と他の列車に見られない50年以上の超長期運用が実現している。
エンジンは桜島機関製造社のV形12気筒エンジンであるSD-123号、排気過給機(ターボチャージャー)と中間冷却器(インタークーラー)を装備して、最大出力が1,100 ps / 1,500 rpmとなり、それを2基搭載して、総出力2,200 psを出すことができる。ノッチは14段階であった。なお、400番台から1400番台には新型のSD-125号が搭載され、最大出力が1400psまで上昇し、それを二基搭載することで2800rpsとした。
2000年からの近代化改修では、連結器をより強度のあるものに変更するとともにエンジンを小型で高出力なSD-134号に換装し、最大出力が3000rpsまで上昇した。ただ、この改修後は客車連接国内都市間輸送列車に求められていた高速運転は本型車両が投入されている山岳地帯でも動力客車に置き換えられていった。
このため、本形式にも余剰が生じ、大東亜国鉄や旧植民地などに売り払われたり自衛部の専用線の牽引機関車として340機あまりが使用されている。また、これまでに500両あまりの車両が余剰廃車となっている。

製造

製造は桜島機関製造、神居工場、南京工場、上海工場、月美工場、月美列車製造、大東亜国鉄機関車工場、ケープランド工場、ナイジェリア工場、ボゴダ工場、デリー第三工場で行われ計1900両あまりが製造され本土、アフリカ南部植民地、南アメリカ植民地、インド植民地、マダガスカル植民地などで運用された。
1966年頃に一斉に植民地の独立認可をしても各植民地で継続して製造され、多くの植民地では現在でも現役である。大神国及び植民地での製造は1961年から始まった低率初期生産機のD-100型0番台、量産型機の10番台〜300番台、出力強化のために新型エンジンを搭載した400番台〜1000番台に分けられる。大東亜での製造はD-51型機関車という名称で始まり、D-400型車両を原型として700番台が作成された。
2000番台は2000年の皇立鉄道の在籍車両450両に対して行われた体質改善・延命工事であり、これにより2019年まで使用することが決定した。これは新型エンジンへの換装などが実施されたほか完全重連化が施され、牽引力の強化などが図られたほか、陳腐化していた台座を新型のものに変更する工事であり、2010年までに全車両への施工が終了した。その他主な派生型は以下の通り。

番台区分

0番台

低率初期生産車。後の改修で追加された1号機と5号機を除き、統括車両制御装置は搭載されておらず重連運用をすることができない。蒸気発生装置は設置されており客車を連結することはできる。D100型1号機から10号機が該当する。ただし、1990年までに全車両廃車となっている。また、1号機と5号機は1987年の三隅鉄橋転落事件?でDCR-6900列車を重連で牽引しておりこのため事故廃車となっている。
D100型1号機
本型の性能実証試験機として1960年に落成した。1年かけて試験を行った。当初は機関や変速機の特性不一致などで所定の性能が得られなかったが、そのデータは二号機以降に活かされることになり、本機ものちに改修された。1964年の改修工事で300番台に搭載される予定の統括車両制御装置の性能実証試験車に指定され6号機とともに統括車両制御装置搭載化改造を受けた。1969年には寒冷地試験機として寒冷地仕様に改造され実証試験区として月美西線の詠月湖機関区に転属となった。
1973年に神居新線の試験線用車両として神居新線開発本部に転属したが、1980年に詠月湖長距離列車区に転属となった。1987年に臨時貨物DCR6900列車として大京行き列車を運転中に三隅鉄橋転落事件?に遭遇し、谷底に転落。引き上げられること無く事故廃車となる。

10番台〜300番台

本型の初期量産車。10号機〜300号機までの390両が該当する。統括車両制御装置が全車両に搭載され、重連運転が可能になった。それぞれ、製造場所などによって細かい違いがあるものの主に10番台〜100番台が通常仕様となり、主に大規模幹線などで使用された。200番台は寒冷地仕様であり月美西線などで運用された。300番台は砂塵防護装置とSG装置を取り除いたものであり主に、温暖地や熱帯の植民地での鉄道用として用いられた。インド、南米、南アフリカ、マダガスカル、NZ植民地では300番台の派生型が製造され、インド、南米、南アフリカ、マダガスカルでは独立後に2000両あまりが製造されている。本土では200両が運用されていたが1989年までに全車廃車となっている。

400番台〜1400番台

400号機から1400号機までの1000機が該当する。エンジンがSD-125号に換装され一基あたりのエンジン出力が1400rpsまで上昇し、二基で合計2800rpsの大出力を誇るようになった。また、300番台までの車両で収集されたデータによって様々な改修が施され、台車の改修なども合わせて重量が300番台よりアップしている。

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