日本旅客鉄道? 桜松線 | |
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国 | 大日本帝国 |
所在地 | 伊勢県 大和県 |
起点 | 松阪駅 |
終点 | 桜井駅 |
駅数 | 駅 |
開業 | 1930年 |
所有者 | 日本旅客鉄道? |
運営者 | |
路線距離 | km |
軌間 | 1,067mm |
線路数 | 単線 |
電化方式 | 非電化 |
閉塞方式 | 特殊自動閉塞式 |
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改正鉄道敷設法別表第81号にある、「奈良縣櫻井ヨリ榛原、三重縣名張ヲ經テ松阪ニ至ル鐵道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鐵道並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ經テ吉野ニ至ル鐵道」の一部として敷設された。
当初は、「名松線」として、松阪駅から名張を目指して工事が進められることになった。
当初は、「名松線」として、松阪駅から名張を目指して工事が進められることになった。
しかし、1930年に参宮急行電鉄が桜井駅 - 名張駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅) - 松阪駅 - 宇治山田駅間を開通させたため、1935年までに松阪駅 - 伊勢奥津駅間を開通させたにとどまり、それ以後の延伸は見送られた。
その後、1940年に貨物輸送や大阪から東紀州方面への連絡で意義があるとして、延伸計画が再浮上し、桜井駅 - 松阪駅を結ぶ「桜松線」として建設が進められることとなった。
その結果、1943年には伊勢奥津駅 - 御杖駅、1946年には御杖駅 - 桜井駅まで開通し、全通した。
しかしながら、大阪電気軌道や参宮急行電鉄などが合併した近畿日本鉄道は大阪線を全通させ、名古屋にも路線を伸ばすなど、国鉄線に圧倒的な差をつけており、桜松線は不利な立場に置かれていた。線形改良や優等列車の運行を進めるものの、桜松線の利用者は近鉄の路線を下回っていた。
その後、1940年に貨物輸送や大阪から東紀州方面への連絡で意義があるとして、延伸計画が再浮上し、桜井駅 - 松阪駅を結ぶ「桜松線」として建設が進められることとなった。
その結果、1943年には伊勢奥津駅 - 御杖駅、1946年には御杖駅 - 桜井駅まで開通し、全通した。
しかしながら、大阪電気軌道や参宮急行電鉄などが合併した近畿日本鉄道は大阪線を全通させ、名古屋にも路線を伸ばすなど、国鉄線に圧倒的な差をつけており、桜松線は不利な立場に置かれていた。線形改良や優等列車の運行を進めるものの、桜松線の利用者は近鉄の路線を下回っていた。
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