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芝宮倫理(宗谷倫理)は、大神国の執政官である。第210代、211代太政大臣であり海上自衛部クーデターにより皇族方が死亡したことに伴い天皇の代理たる執政官に就任した。位階は最高位である正一位正であり、大桜花十六菊花勲章、同頸飾、文化勲章、桜花紋勲章、芝宮家白梅勲章一等保持者。三大貴族のうちの芝宮家の現当主であり貴族位は公爵。他には第120期、121期、122期貴族院議員、108期、109期庶民院議院を務めた。
芝宮倫理
出生1950年12月03日(68歳)
死亡2022年9月14日(68歳/神居旧宗谷家邸)
出生地神居都
学歴修学院小学校
修学院中学校
修学院高等学校
修学院大学法学部
修学院大学法学院
職業執政官
第210代太政大臣
第211代太政大臣
第120期貴族院議員(貴族議員)
第121期貴族院議員(貴族議員)
122期貴族院議員(貴族議員)
第122期貴族院議長
第108期庶民院議院(神居中央一区)
第109期庶民院議員(神居中央一区)
配偶者大ノ宮冬香
貴族位公爵
位階正一位正
称号芝宮家第190代当主
芝宮家清流第110代当主
芝宮荘園地領主
学校法人芝宮学園名誉理事
法学博士
法曹
勲章大桜花十六菊花勲章
大桜花十六菊花勲章頸飾
文化勲章
桜花紋勲章
芝宮家白梅勲章一等

来歴

幼少期

芝宮家清流の第119代当主の芝宮兎月の息子として神居都立病院で誕生する。当時初めて家立病院以外で出産された公爵貴族であった。出生と同時に従一位従に叙される。出生直後に当時慣例として行われていた大ノ宮家への養子として出され、同家の長男となる。
大ノ宮家では長女で家督を次ぐ冬香とことなり比較的自由に育てられたと回顧している。また、大ノ宮家が人との交渉を非常に重視して発展してきた家であることも影響して交渉術や権謀術数などの教育が行われていたとされる。本人は当時について「やはり、当時思い出されるのは冬香のことですね。彼女は非常に怖かったですが同時に姉としての愛を尽くしてくれたのだと思います。」と発言している。

学生時代

貴族家の教育機関でもある修学院小学校、修学院中学校を経たのち修学院高等学校に進学する。修学院高等学校では当時同年代で通学していた天皇夏ノ宮(当時は皇太子)と親睦を深め、度々大ノ宮家に招待したり、皇太子に皇居に招待されたりしている。また、社会問題研究部に所属し社会問題に法律の側面からアプローチしようとした。本人は「あの体験が政治家としての一歩であったと記憶される」と発言している。
天皇夏ノ宮によると「大ノ宮は非常に快活な学生であったように記憶している」と述べられている。大学は修学院大学法学部に入学し、社会問題への知見を深めた。1978年に法学博士号を取得する。1979年から司法試験に挑戦するが1983年に合格する。このとき、一部週刊誌は彼のことを「将来を顧みず司法試験に挑み続ける貴族」などと報道し、彼のことを批判する風潮が社会にあった。

弁護士時代と結婚

第25期司法修習生を1985年に修了し1986年より大手弁護士事務所で行政法弁護士として勤務するようになる。本人は4年勤め上げたあと当該弁護士事務所から解雇を宣告された。これは「貴族としての立ち居振る舞いを重視しすぎて業務に支障が出る」といった理由であり、本人はこのことについて「良い社会経験になった」と述べるにとどめている。
1991年には芝宮家に籍を戻され、同年に大ノ宮冬香(芝宮冬香)と結婚する。彼らは、家の意向などもあり幼馴染的な距離感で育成されていたため、結婚に抵抗はなかったという。結婚と同時に貴族としての活動を再開させ、芝宮家を代表して第120期、第121期、第122期貴族院議員を務め、第122期では貴族院議長を歴任した。

庶民院議員選挙への出馬と太政大臣

第122期貴族院議員の任期が2009年に終了すると翌年の第108期貴族院に出馬し、当選した。同時に当時の政権与党であった護国党(現護国護憲党)の意向によって太政大臣を任命された。芝宮内閣は抜本的な構造改革と米軍との連携強化を掲げた。
まず、芝宮内閣は無駄の多かった国家公安関係の組織を刑部府の国家公安委員会に統一させたほか海上自衛部憲兵隊が公安業務に関わることを停止させた。この他にも国民保険制度の抜本的な改革などを行った。
同時に、当時の大神国自衛部と米軍の連携を進めて、大神国自衛部の海外進出を推し進めた。彼の治世には賛否両論が多い。彼は第110期庶民院議員選挙に出馬しなかったため、第109期庶民院議員としての任期が終了するとそれと同時に太政大臣職を失職した。

執政官就任

太政大臣失職後、神居で余生を過ごす覚悟をしていた芝宮であったが、2022年海上自衛部クーデター発生時にオスマン帝国の企業代表との会談を目的に配偶者である大ノ宮冬香とオスマン帝国を訪れていたため亡命政府の中心人物となった。
帰国後、三大貴族と皇族方がほとんど殺害された影響で天皇位を継承できる人物がいなくなってしまい執政官に就任した。ただ、国会などでは彼を天皇位に叙位することも検討しており芝宮朝の成立も視野に入れて検討されているとされる。

親族

芝宮家の本流にあたる清流にルーツを置く。直接には第119代芝宮家当主の芝宮兎月の長男として兎月には娘がいたため、芝宮家ではなく大ノ宮家に養子と出されるに至る。祖母は宗谷家から嫁養子として芝宮家に入った故芝宮節子(宗谷節子)公爵妃である。
配偶者は芝宮(大ノ宮)冬香だが、子が生まれなかったこともあり芝宮(水瀬宮)春香従二位正を養子として水瀬宮(本宮)から迎えている。なお、家督も芝宮春香従二位正に継がれることになる見通しとなっており、これが実現すると歴史上初めての芝宮家の女性当主が誕生することとなる。

人物

大変温和な性格として知られており、万国融和を自らの政治信念として掲げている。ただ太政大臣時代は

エピソード

名言

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