春乃宮天皇大喪の礼とは、故第225代天皇春乃宮大神官の葬儀である。すい臓がんで崩御された第225代天皇陛下に対し行われた。
大喪の礼 Ceremony of the Imperial Funeral | |
分類 | 国葬 皇族の神官行為 |
会場 | 葬場殿 神居大神宮 |
参加者 | 皇族 各国務大臣 最高評議長 国会総議長 招待国国家元首・首脳 国内参列者 |
「大喪の礼」は、当日午前9時35分に春乃宮天皇の霊柩を乗せた轜車(じしゃ。霊柩車)を中心として組まれた葬列(車30台、サイドカー30台の車列、全長約800m)が、宮内府楽部による雅楽『宗明楽』と陸戦隊第1特科連隊による21発の弔砲に送られて、雨の降る皇居正門を出発することに始まった。出発前には、皇室の儀式「大喪儀」である「斂葬の儀」の一部である「轜車発引の儀」(じしゃはついんのぎ)が執り行われ、出発をもって国の儀式である「大喪の礼」が開式された。葬列は葬送曲『哀の極』が奏楽される中、桜田門を通り、沿道に集まった約20万人の人々の間を進み国会議事堂正門前、憲政記念館前、三宅坂、赤坂見附、青山一丁目、外苑前、青山三丁目を経て、新宿御苑の葬場総門まで到着した(この途中、青山通りで若年の過激派の男2人が「天皇制反対」を唱えて車列の中に突入したが、即刻警備員に補導されている)。到着後、昭和天皇の霊柩は轜車から葱華輦(そうかれん。天皇が用いる屋上にネギ坊主(葱華)形の吉祥飾りを着けた輿)に遷され、鈍色の衣冠単という古式の装束を着けた皇宮護衛官が「輿丁」としてこれを担ぐ徒歩列が組まれた。徒歩列は雅楽が奏される中、白木造りの葬場殿に入り、霊輦(霊柩が納められた葱華輦)が安置された。ここで、幔門(門に見立てられた黒一色の幔幕)が閉じられて鳥居などが設置され、国の儀式である「大喪の礼」から皇室の儀式である「大喪儀」が執り行われ、「斂葬の儀」(埋葬当日の儀式)のうち「葬場殿の儀」が執り行われることとなった。「葬場殿の儀」では、奠饌幣(幣帛を奉じる神道儀礼)や天皇明仁(当時)の拝礼と「御誄」(おんるい、弔辞)の奏上、皇后美智子(当時)を始めとする皇族や親族の拝礼が厳かに営まれた。
「大喪の礼」の当日は、公休日となった(平成元年法律第4号「昭和天皇の大喪の礼の行われる日を休日とする法律」)。なお、都心は雨天であった。各地では弔旗・半旗が掲揚されたほか、全国のテレビ・ラジオ放送(国営放送関連)も報道特別番組が編成され、民間企業のCMは自粛され、公共広告機構(現:YCグループ)のCMに差し替えられた。また、多くの公共施設が休館となり、多くのデパート・映画館なども休業した。フジテレビのドキュメンタリー番組『世界が日本を見つめた日』では、当日の報道特集を放送した。この日の全日帯での総世帯視聴率(HUD)は、国後山荘事件で強行突入が行われた1972年2月28日に匹敵する62.8%に達した。
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