架空国家を作ろうの1.1世界線です

このページでは大神国の歴史について述べる。(紀元前210年以降の天皇制施行後の歴史を神国の歴史とする場合もあるがここでは紀元前1430年の星奉ノ長の存在が確認されてからの歴史を述べる)

本土への夜去民族の定住

本土には紀元前3400年には夜去民族が定住し、コミュニティーを形成していたとみられている。ただ夜去民族の当時の自治体制はないに等しく、遊牧生活をしていたとみられる。その後、紀元前2300年前までには既に農耕生活を中心とした「リーダを立てた定住」の仕組みが完成していたとみられている。また争いがあった形跡も多々見つかっている。槍や弓、剣なども多数見つかっておりこのころから多数動乱が起きていることが研究によって明らかになっているが、このころは「ク二」ではなく「ムラ」単位での争いであったと考えられている。

「ムラ」から「クニ」へ、「クニ」から「オオクニ」へ

紀元前2300年ごろになると、「ムラ」同士での戦いがさらに激しくなった。その理由としては飢饉が起こり「ムラ」の備蓄が減ったことが理由とみられる。そして、この戦いの激化によって複数の「ムラ」が統一され「クニ」となった。そして「クニ」同士が戦い複数の「クニ」が統一され「オオクニ」とされるようになった。この「オオクニ」は22存在していたとみられ、その範囲は現在の本土の行政区分にもみられる。

「オオクニ」同士の動乱時代

紀元前1400年ごろになると、大神国国内において動乱の動きが再燃することとなる。これは本土に散らばっていた「オオクニ」同士での戦いであり、各「オオクニ」は本土の統一を目指した。その中で1300年ごろに一層の強さを誇ったのが「星奉」といわれる「オオクニ」であった。その後「星奉」は紀元前1200年ごろに全国を統一し、「星奉ノ長」を中心とする原始君主制(大神国は律令が発せられた以前の君主制を「原始君主制」と呼称している)が始まった。この星奉ノ長を中心とする原始君主制はその後紀元前210年ごろの律令発布による「天皇制」成立まで約1000年間続くこととなった。

原始君主制の廃止と天皇制の成立

紀元前210年に、大神国に律令が敷かれもって「天皇制」が成立した。天皇制の成立後、星奉ノ長制は終焉を迎えた。天皇は他国の天皇と違い「神をまつる神官の長」とされた。そして律令を発しそれをもとにした政治造りがなされた。この枠組みは大まかなところでは現代の大神国の政治にも継承されている。

「日出れば日没する国」

紀元1000年ごろから大神国は海洋進出の動きを強めた。なぜ海に面してない大神国領土から海洋進出が始まったかは未だに謎であるが1013年には「夜去NZ領」(現大神島)が宣言された。その後ナイジェリアや、オセアニア各島などを1500年までに植民化した。その領土の広さから「日出れば日没する国」と呼ばれるようになった。

第1次、2次世界大戦と「日出れば日没する国」の終焉

第1次世界大戦に大神国軍は13万人、第二次世界大戦に25万人の兵員を派遣した。そのご民族自決の原則が世界で高まるにつれ、大神国の45植民地中22植民地が独立し、全世界にその名をとどろかせた「日出れば日没する国」は終焉を迎えた。その後世界の中心であった大神国はその立場をアメリカに奪取され、世界の中心から少々遠のいた。

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