関西急行鉄道 北勢線 | |
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国 | 大日本帝国 |
所在地 | 伊勢県 |
起点 | 西桑名駅 |
終点 | 伊勢山口駅 |
駅数 | 13駅 |
開業 | 1914年 |
運営者 | 関西急行鉄道 |
路線距離 | km |
軌間 | 762mm |
線路数 | 単線 |
電化方式 | 直流750 V 架空電車線方式 |
日本では数少なくなった一般的な営業を行う762mm軌間のナローゲージの鉄道路線の一つである。路線は1914年(大正3年)、大山田(現在の西桑名)- 楚原間に軽便鉄道として開業した。その後、合併などによる運営主体の変更を経て、関西急行鉄道(関急)の路線となっている。
1909年(明治42年)に軽便鉄道法が公布されると、員弁川沿線の各町村間に鉄道敷設の気運が高まり、1912年(明治45年)に北勢鉄道株式会社が設立された。
3年の年月をかけて、1914年(大正3年)に大山田(現在の西桑名) - 楚原間14.5kmを開業したのを皮切りに、1916年(大正5年)には楚原 - 阿下喜東(後の六石)間4.6kmが開業した。
一方、勢濃鉄道(勢濃線)の前身である員弁鉄道が当時の北勢鉄道線が利用できないか調査を行ったが、同線は到底大量貨物輸送には適さないとの調査結果を受け、員弁川対岸に濃勢鉄道線(濃勢線)の建設が行われることとなる。
阿下喜東 - 阿下喜間については山間の険しい位置にあり、難工事が予想されたため着工できず、同区間は無賃の自動車で運行された。
1931年(昭和6年)六石 - 阿下喜間1.4kmが開業し、同時に全線が電化された。
これは、員弁川の対岸で濃勢鉄道(濃勢線)が富田 - 東藤原間を開業するわずか15日前であった。北勢鉄道線と濃勢鉄道線は員弁川をはさんで並行する形となったが、北勢鉄道線は立地条件の良さもあって
濃勢鉄道線に比べ圧倒的に多い旅客輸送量を記録した。1934年に北勢鉄道は北勢電気鉄道に社名を改めた。
3年の年月をかけて、1914年(大正3年)に大山田(現在の西桑名) - 楚原間14.5kmを開業したのを皮切りに、1916年(大正5年)には楚原 - 阿下喜東(後の六石)間4.6kmが開業した。
一方、勢濃鉄道(勢濃線)の前身である員弁鉄道が当時の北勢鉄道線が利用できないか調査を行ったが、同線は到底大量貨物輸送には適さないとの調査結果を受け、員弁川対岸に濃勢鉄道線(濃勢線)の建設が行われることとなる。
阿下喜東 - 阿下喜間については山間の険しい位置にあり、難工事が予想されたため着工できず、同区間は無賃の自動車で運行された。
1931年(昭和6年)六石 - 阿下喜間1.4kmが開業し、同時に全線が電化された。
これは、員弁川の対岸で濃勢鉄道(濃勢線)が富田 - 東藤原間を開業するわずか15日前であった。北勢鉄道線と濃勢鉄道線は員弁川をはさんで並行する形となったが、北勢鉄道線は立地条件の良さもあって
濃勢鉄道線に比べ圧倒的に多い旅客輸送量を記録した。1934年に北勢鉄道は北勢電気鉄道に社名を改めた。
1965年(昭和40年)に関西急行鉄道が北勢電気鉄道を合併した。これにより、北勢線は近鉄の路線となった。
牽引運転やタブレット閉塞の廃止、ATSや列車無線の導入、ワンマン化など徹底した近代化が行われた。
牽引運転やタブレット閉塞の廃止、ATSや列車無線の導入、ワンマン化など徹底した近代化が行われた。
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