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概要

夜去史記とは大神国神道における中心的な史書である。その後書によれば創和12年(紀元1200年)に多務ノ宮一家により成立されたといわれている。内容は天地開闢から神武天皇の即位までの記録が記されている。4年後に編纂された神居紀とまとめて史紀と近年では称されるがこの史記が夜去神話を重視しているのに対し神居紀は神居神話を重視しており内容には差がある。
『夜去史記』は『神居紀』とともに後世では「記紀」と総称される。内容には一部に違いがあり、『神居紀』のような勅撰の正史ではないが、『夜去史記』も序文で法務天皇が、

撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
訓読文:帝紀を撰録(せんろく)し、旧辞を討覈(とうかく)して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ。

と詔したと記載があるため、勅撰とも考えられる。史料の上では、序文に書かれた成立過程や皇室の関与に不明な点や矛盾点が多いとする見解もある。 ただし、あくまでも神話の世界の話であることや大神国における皇室の正統性を想起させる内容であることから、近現代においてはイデオロギーのための議論のもととして利用されることもあったが、『夜去史記』に記述されていることが真実であっても、脚色を含んだものであったとしても、原典をあたる手段もないので証明の手立てがないと言わざるを得ない。 また『夜去史記』における『続神居紀』のような『夜去史記』の存在を直接証明する物証もなく、多務ノ宮の実在性の低さ、序文の不自然さからも『夜去史記』偽書説(後述)も唱えられている。

夜去史記は歴史書であるとともに文学的な価値も非常に高く評価され、また神国神話を伝える神典の一つとして、神道を中心に日本の宗教文化・精神文化に多大な影響を与えている。『夜去史記』に現れる神々は、現在では多くの神社で祭神として祀られている。一方文化的な側面は『神居紀』よりも強く、創作物や伝承等で度々引用されるなど、世間一般への神国神話の浸透に大きな影響を与えている。

編集の経緯

中大兄皇子(天智天皇)らによる蘇我入鹿暗殺事件(乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん))に憤慨した蘇我蝦夷は大邸宅に火をかけ自害した。この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上したと言われる。『天皇記』など数多くの歴史書はこの時に失われ、『国記』は難を逃れて法史天皇に献上されたとされるが、共に現存しない。法史天皇は白村江の戦いで唐・新羅連合に敗北し、予想された渡海攻撃への準備のため史書編纂の余裕はなかった。その時点で既に諸家の『帝紀』及『本辭』(『旧辞』)は虚実ない交ぜの状態であった。壬申の乱後、天智天皇の弟である天武天皇が即位し、『天皇記』や焼けて欠けてしまった『国記』に代わる国史の編纂を命じた。その際、28歳で高い識字能力と記憶力を持つ稗田阿礼に『帝紀』及『本辭』(『旧辞』)などの文献を「誦習」させた。その後、元明天皇の命を受け、太安万侶が多務ノ宮家の「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を編纂し、『夜去史記』を完成させた。

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