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         48式戦車
基本情報
種類中戦車
運用者大東亜国家社会主義国陸軍
製造年1948年〜1964年(モデルとなったパンターは1943年)
製造大東亜国家社会主義国陸軍兵器製造局
性能
全長8.66m
車体長6.87m
全幅3.27m
全高2.85m
重量38t
懸架方式ダブルトーションバー方式
速度45〜55km/h(整地)
27〜33km/h(不整地)
主砲70口径75mm戦車砲
副武装46式7.7mm機関銃
装甲80mm傾斜装甲(砲塔正面、傾斜角11°)
45mm傾斜装甲(砲塔側後面、傾斜角25°)
60mm傾斜装甲(車体正面、傾斜角55°)
40mm傾斜装甲(車体側面、傾斜角40°)
40mm傾斜装甲(車体後面、傾斜角30°)
エンジン水冷4ストロークV型12気筒ガソリン
乗員5名

概要

48式戦車は大東亜国家社会主義国の中戦車である。1948年より製造が開始された為、末尾2桁を取って48式と命名された。

製造までの経緯

1945年、ナチス・ドイツが敗戦すると、ソビエト連邦?や連合国からの抑圧を恐れたドイツ人技術者がこぞって海外へと亡命。南米や中東が主な亡命先となる中、当時進行していた中国内戦においてファシズムを掲げていた大東亜もその亡命先のひとつとなった。そして1946年に中国内戦が終結し、大東亜が国土を統一すると、北のソ連の脅威に対抗するため、早急な軍備増強が急務となった。そこで、当時の大東亜政府は亡命してきたドイツ人技術者に協力を要請し、ナチス・ドイツが使用していた戦車の中から戦車を模索することとなった。結果として、V号戦車パンターが正式採用され、1948年に「48式戦車」として大東亜国内で製造されるようになる。

製造・運用

1948年から製造が開始された本車だが、当時の大東亜は未だ内戦の傷が癒えておらず、本格的な生産は製造開始から5年後となる1953年になる。
1953年から本格的な生産が開始された本車は、1964年に製造を終えるまでの11年間の間で1200輌が生産され、対ソ連用の車両として主に満州地域にて配備された。しかし、基礎設計の古さから、製造開始時点で既に旧世代戦車の烙印を押されており、それは年を重ねる毎に悪化。そして、次世代戦車である65式戦車?が開発された事で48式の製造ラインは全て打ち止めとなり、1982年までに全車が退役した。

特徴

オリジナルであるパンターとの相違点はほぼ存在しないのだが、唯一の相違点として装甲厚の薄さとそれに付随する重量低下がある。これは、パンターの開発期に想定されていた装甲厚にして、初期問題を可能な限り減らそうとしたことと、製造コストの軽減を目的としていた。

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