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(国旗)
ニウエ王国
公用語ニウエ語
国歌コ・イ・イキ・ヘ・ラギ(天の主)
国の標語なし
首都アロフィ
国家元首トギア・パトゥイキ・ラミア
政治体制立憲君主制
人口1,520人
面積260km2
通貨ニウエドル
標準時UTC -11
領域


概要

ニウエ王国は、オセアニア東部にある立憲君主制国家。ニウエ島を領土とする。
世界最大のサンゴ島のひとつで、海岸は一部を除いて石灰岩の崖になっている。石灰岩の洞窟もあり、自然が豊かな国でもある。
特にこれといった資源もない。ウラン鉱床があると言われたが、何もなかった。

歴史

ヨーロッパ人到達以前

10世紀頃にポリネシア人が最初に定住した。
13世紀から16世紀にかけてトンガ海上帝国が栄えた時期にはこの勢力圏下に入っていた。
18世紀初頭まで、ニウエは統一政府はなかったが、トンガの影響を通じて、1人のパトゥイキ(王)が島を統治する統一政府が誕生した。
最初の王にプニマタがついた。

ヨーロッパ人による発見

キャプテン・クックにより、島は発見されたが、島民の激しい攻撃により上陸を阻止された。これによりクックは、ニウエを「野蛮の島」と名付けた。
その後、宣教師がニウエを訪れ、1846年までには、ニウエ人のほとんどをキリスト教に改宗された。
1887年、ニウエのパトゥイキ(王)のファタアイキは、イギリスに手紙を送り、イギリスの保護下に置くよう要請したが、拒否された。
1900年、2回目の要求でニウエはイギリスの保護領となったが、ニュージーランドに併合された。
第一次世界大戦、第二次世界大戦の二度の大戦には、ニュージーランド軍としてニウエ人も一部戦った。

駐在員殺害事件

1953年8月15日、駐在員のマウンテン・ラッセンは、ニウエ刑務所から脱出した3人のニウエ人によって殺害された。ラッセンは1943年からニウエに駐在しており、自宅や庭での労働のためにニウエ人を逮捕し、有罪判決を下した囚人を使って、ニウエを自分の領地として扱った。午後7時以降の外出禁止令がすべての住民に課され、ニウエ人はアルコールの製造、所有、または飲酒が禁止されていた。ラッセンは彼らの前で飲酒しながら囚人を罵倒しました。

囚人の一人目は、フォリトル(26)で、暴行、脱獄で10代から頻繁に投獄または罰金を科されていました。
二人目は、19歳のラトアタマで、スーパーから砂糖を盗まれた友人を煽ったことからに2年の重労働を宣告された。
三人目の囚人はタマエリは16歳だったが、まともな教育を受けておらず、盗みを働いていたところ逮捕された。

8月15日の夜、フオリトルは7人の囚人と共に脱出した。
道具棚からさらに2つのなたを取り、3人はナイフで武装し、ベッドでラッセンを斬り殺した。ラッセンの息子ビリーは、騒音に目覚め、部屋から逃げたが、襲撃グループに閉じ込められた。
3人の殺人者は島の南海岸に逃げたが、8月の19日に捕まった。
これらの人々は裁判で終身刑となった。
ニウエで最大の事件である。

独立から現代

1970年に、ニウエ国として、ニュージーランドから自治権を獲得した。1972年には立憲君主制が導入され、かつてのニウエ首長が国家元首となり、ニウエ王国となった。
2004年、ニウエはサイクロンにより壊滅的な被害を受け、1割の人の住居が失われた。
2008年より、トケ・トゥフキア・タランギが首相の座についている。タランギ政権下、文化・言語・教育・気候変動への対応・貿易・投資、などを含む様々な問題に対して対策を行った。

政治

国家元首

17世紀から続いている伝統的なニウエの首長(パトゥイキ)が国家元首につく。象徴的なもので政治的権限は持たないが、島内で一定の影響力を持つ。パトゥイキは、世襲制ではなく、選挙君主制で、大抵は有力な家からパトゥイキが選ばれる。現在の国家元首(パトゥイキ)は、トギア・パトゥイキ・ラミア。

憲法

ニウエ憲法は、ニウエ人の自治への願いを実現する憲法。ニウエ人が自分たちの事柄を主導し、統治することを可能にする。
憲法改正には、ニウエ議会の2/3の過半数の賛成で、国民投票で2/3の賛成を得なければならない。

立法府

一院制、定数20、任期3年のニウエ議会がある。
定数20名のうち、6名が国全体の選挙区から、残り14名は村単位の小選挙区制により選出される。
なお、アロフィ村に関しては2名の選挙となる。
政党は、ニウエ国民党、ニウエ人民党があり、それ以外は無所属となっている。
議員名所属政党
トケ・タランギニウエ国民党
ビリ・タロギ
ダル・トーラ
ポロ・アペシリ
ダラ・フラン
モロ・バーロ
エド・アリラ
ミロ・ボーロ
ヒラ・テーロ
トゥギ・マグー
ギュラ・モード
トゥアロ・モレ
カラ・バーレニウエ人民党
ノート・シャーレ
ムロ・ツーシ
バラ・キーロ
ガバット・ゲート無所属
テーキ・ダーロ
トゥグ・ユーロ
ヘレ・ビナン

行政府

内閣は、議会より指名された首相を含み、4名で構成される。
首相は、議会の解散権を持つ。
役職氏名担当部門
ニウエ首相
内閣議長
トケ・タランギ内閣、立法、財政計画
社会福祉ビリ・タロギ保健、教育
資源ダル・トーラ農業、環境
インフラポロ・アペシリ道路、通信、航空
電力、水道

政府の収入源は観光収入ぐらいである。

司法府

ニウエには控訴裁判所と高等裁判所があり、二審制である。
まあ、事件は滅多に起きな
ほとんどの事件は控訴裁判所で裁かれることが多い。

政策

  • 財政の安定
    • 持続可能な方法で国を統治、発展させるために財政的資源を確保します。
  • ガバナンス
    • 安定性、透明性、説明責任のあるガバナンスを提供します。
  • 経済発展
    • ニウエの資源の利益を持続可能な方法で最大化します。
  • 社会政策
    • 幅広い質の高い社会インフラ、サービス、開発で繁栄し教育を受けた健康的なコミュニティのライフスタイルを構築します。
  • 環境
    • ニウエの天然資源の将来のための持続可能な管理をします。
  • タオガ・ニウエ(文化)
    • ニウエの文化、伝統、遺産の保護をします。

行政区画



ニウエでは、それぞれの村ごとに1人、ニウエ議会の議員を選出する。
アロフィ村は2人選出する。
  • マケフ村
マケフは、よく知られているダイビングエリアで、特にサメやウミガメなどの海洋生物の観察が出来る。ニウエに初めて人類が上陸したと考えられている地点で、昔は王の浴場として使われたアヴァイキ洞窟がある。
  • トゥアパ村
ニウエ島の北西部にあり、ヒオビーチというビーチがある。観光客がこのビーチによく訪れる。
  • ナムクル村
ニウエの北部に位置し、トゥアパ村とヒクタバケ村の間に位置している。リゾート施設がある。
観光客がリゾート施設を訪れるくらいしか書くことがない。人口はたったの14人。
  • ヒクタバケ村
ニウエの北東部に位置し、四つの村(トゥアパ村、マタラウ村、トイ村、ナムクル村)と接している。
海に面した村である。
  • トイ村
  • マタラウ村
ニウエの最北端に位置する。
1846年に、ニウエにキリスト教を広めたヌカイ・ペニアミナがこの地に宣教師と共に上陸した。
  • ラケパ村
  • リク村
島の東端近くに位置している。西に首都アロフィ村と接する。
著名な出身人物はポコトア・シペリで、ニウエの農林水産相を務めている。
  • タフィティ村
  • ハクプ村
ニウエで3番目に人口が多い。フバル自然保護区があり、自然も豊かである。
ハクプには、二度の大戦でニュージーランドに属して戦ったニウエ人の記念碑がある。
  • バイエア村
村北部にはタヴァラ・アーチと呼ばれる深い洞窟がある。
  • アバテレ村
アバテレビーチはアバテレ湾の海岸に沿って伸びており、島で最も大きく、知名度の高いビーチである。
そのため、観光客が訪れる村の一つである。歴史的には、ヨーロッパ人がここから上陸することが多かった。
  • タマカウトガ
ニウエ国際空港がアロフィ南村と跨って立地する。
  • アロフィ村
人口は639人で、ニウエ最大の都市かつ首都。アロフィ湾に面している。政府の庁舎や首長宅など首都機能の多くが集中する。

産業

特にこれといった産業もない。が、ニウエの三大産業(農業・漁業・観光業)である。

農業

自給自足の為の農業が行われている。
タロイモは主食であり、ニウエのタロイモは害虫に強く、タロイモ市場では、「タロニウエ」として知られている。ニウエの数少ない輸出品のひとつである。キャッサバ、ヤムイモ、クマラ、バニラ、バナナも主要産品である。
しかし、一度災害(サイクロン)が起きると、壊滅的な被害が出ることも多い。

漁業

ニウエ魚介会社は、マグロなどの鮮魚の加工工場を持っている。
島の数少ない産業のひとつで、鮮魚の輸出や、魚類の加工品などが
数少ない輸出品である。
漁業の拡大の為、周辺の海域の保護はニウエにとって最重要である。

観光業

ニウエオリジナルの切手の販売や、観光業も数少ない産業のひとつである。
ニウエ政府は、主要ない外貨獲得源として、観光開発を進めている。
ニウエリゾート会社は、リゾートを拡大し、ニウエ観光業の主軸となっている。

貿易

輸出ココナッツ、ヤムイモ、タロイモ、水産加工品、金属
輸入食糧、鉱物、燃料、機械、自動車

交通

航空

島の唯一の空港にニウエ国際空港?がある。
周辺諸国への航空便がある。

海運

ニウエには水深の深い港はないが、軽船程度なら停泊できる。

道路

ニウエの道路は全て国によって管理されている。
ニウエ島をぐるっと回る環状道路と、アロフィ村からハクプ村への道路、島を横断する道路などがある。バスはない。ニウエ人は車や二輪車を使って移動する。

軍事

ニウエにこれといった軍事基地はなく、防衛は太平洋軍事共同委員会に委任している。これに志願するニウエ人もいる。
過去には、第一次世界大戦や、第二次世界大戦でニュージーランド軍として従軍したニウエ人もいた。

国民

ポリネシア系ニウエ人がほとんどである。
そのほとんどは、ニウエ語と英語を話す。
ニウエ語は2つの主要な方言、北部のモツ方言と南部のタフィティ方言がある。宗教はキリスト教プロテスタントが多数派。
近年、雇用の減少により海外への移住が増え、人口減少となっている。

教育

国内に大学はない。大学に進学する者は、海外の大学に進学する。
ニウエ最大の教育機関は、アロフィに位置するニウエ高校である。

医療

アロフィに病院が一つあり、北部に小さな診療所がある。
医療体制は弱い。

文化

ニウエアンは、多くの伝統と文化が世代を超えて受け継がれている「生きた実体」として誇りを持っている。文化的価値は、私たちの祖先が彼らの手入れの行き届いた知識を後世に引き継ぐことができるように大きく貢献する過去からのものであるため、保存されている。ニウエの文化と工芸はニウエアンにとってとても重要な意味を持つ。

ニウエ人の主食はタロイモで、魚も多く消費します。
ニウエ料理として、「ナインピア」という料理がある。
アロールートとココナッツで作った半透明のお粥で、ヌルヌルとした食感が特徴的である。

メディア

公共放送局のニウエ放送協会(BNC) によってニウエテレビとラジオニウエを運営している。
アロフィに本社がある。ニウエテレビは、夕方の18:00-23:00までしか放送していない。ラジオニウエも同様である。特にやることもないので、テレビ番組の種類は少ない。多くの国民はインターネットで情報を得ることが多い。

地理

島はおおよそ楕円形で、中央にアロフィ湾と南部にアバテレ湾の2つの大きな湾がある。これらの間にハラギギーポイントの岬がある。小さな半島のブローホールポイントは、南西部のアバテレの集落の近くにある。人口のほとんどは、西海岸の近く、首都周辺、北西部に住んでいる。ニウエ島に最も近いのはほぼ真西に420km離れたヴァヴァウ諸島で、孤立した島とも言える。
気候は熱帯で、12月 - 3月の雨季は高温多湿であり、それ以外は少雨の乾季となる。雨季にはしばしばハリケーンやサイクロンが襲来しーニウエに甚大な被害を出すこともある。

ニウエの端

  • 北端 ウルヴェヒ
  • 東端 リク
  • 南端 リムフアフア岬
  • 西端 ハラギギー岬

アヴァイキ洞窟


アヴァキの名前は、ポリネシアの人々の神話上の島、ハワイキに由来している。この洞窟は海につながっていて、水を保護している
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