架空国家を作ろうの1.1世界線です

ここでは、14世紀からの大神国の海洋進出について述べる。

海洋への進出

進出の背景

古来より大神国は、内モンゴル地域を巡り中華王朝と対立を繰り返してきた。しかし、13世紀後半内モンゴル地域を中華王朝に占領されたため、国力の増強が必須の課題となっていた。
これを鑑みた時の天皇は、一度内モンゴル地域の占領をあきらめて海洋進出を行い領土を増やして中華王朝に圧倒的な国力差をつけた上で再度内モンゴル地域を勢力下に置くことを目指した。

開拓令

そして、大神国天皇府は1389年、台湾の各探検者や漁師に島を発見したものは大神国の領土とすることで一定の税金と資源の上納を条件に当該地域での利権を認めるとする命令(開拓令)を発布した。
これは当時、内モンゴルを占領され景気が非常に悪かった大神国の人々特に豪商ににとってとても魅力的な話であった。何故なら、豪商にとって金を継続的に払わなければいけないものの商売ができる土地と未知の資源が秘められた土地を自由に使ってよいと言われたからである。
豪商はこぞって大洋に船をこぎだした

東南アジアの植民地化

当時の台湾の豪商大積家は、1390年に、1ヶ月の航海の後ルソン島に到達し最初の植民地とした。
その後、ヒサヤ、ミンダナオと周辺の7107の島々を植民地化し、この島々を総称で「大積諸島」と命名した。その後、大積家は大積諸島地域において大積諸島貿易協会を設置し、大型プランテーションやゴムの採集などを始めた。
同じ頃神居の豪商玖内家は、大積諸島から南に進んだところにあるジャワ島を発見。占領しようとするも現地住民の激しい抵抗にあい、撤退し東に進んだところにあるマレー半島と、ボルネオ島北部をその統治範囲とした。 
同時期に大神国の台湾へと原料などを運ぶ船を襲う中華王朝の海賊船が問題となり、早急な対策を打たなければならなくなり、右兵衞内に「海戦部」を設立。大神国の海上戦闘組織の全ての前身となった。
14世紀中盤からは植民地拡大に大きな役割を果たすこととなるが最初はもっぱら海賊船の殲滅や海賊船から神国の船を守ることが任務であった。

南洋諸島の占領

当時、大積諸島貿易協会の4人の漁師は東へと進んでいたところ多くの島々が連なる場所を発見し、大神国台湾行政部に通報した。この通報を受け、今後南へ進んでいく橋頭堡となると感じた大神国政府は、海戦隊を派遣しこれを占領することを決定し1400年、海戦隊の探索船4隻は、最初の南洋諸島「南トケラウ」へと到達した。その後、周辺の島々を占領し、大神国の統治下においた。
このあと大神国の植民地展開には豪商といった民間が中心となっていくのではなく政府が本腰をいれて主体的に行うようになっていく。

オセアニアの占領と桜橋戦争

このころになると、スペインとイギリスも海洋進出を進め南アメリカ大陸を回ってオーストラリアやオセアニアの一部の島々を統治しようとしていた。
その頃大神国も、南へと統治範囲を展開し前述のように南洋諸島をその勢力下においてオセアニアへと手を伸ばしていた。大神国は、1410年にニュージーランドの北島に上陸。その翌年には南島へと上陸しニュージーランド全域をその統治下においた。
ニュージーランドには1412年に「NZ総督府」をおき、先住民族の臣民化政策(神国神道の布教、神国語の公用語化等)を推し進めた。同様の政策は南洋諸島や、大槻諸島や玖内家の統治範囲でも行われた。
1415年には、オーストラリアに上陸。イギリス軍と中央部で衝突するが徐々にNZへと押し戻され結局今の領海線をはさんでにらみ会うこととなった。(これを桜橋戦争という)

インド洋への進出とマダガスカル島の獲得

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