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大東亜国家社会主義党
基本情報
成立年月日1927年8月15日
本部所在地大東亜大京特別市
議席数695/695(国家院)
役職
代表(総裁、党首など)(不明)
副代表(不明)
幹事長(不明)
政治的思想・立場
国家社会主義
ネオ・ナチズム
エスニック・ナチズム
大アジア主義
国際組織
あってたまるか

党史

1927年8月に、NSDAPの後援により、北京大学(現大東亜帝国大学)教授の法後三や北京大学助教授の正南、元北京大学図書館副司書の海宇南らが各地で結成していた国家社会主義組織を糾合する形で、ドイツのベルリン大学への留学から帰国した張三高の上海の自宅にて大東亜国家社会主義党第1次全国代表大会(第1回党大会)を開催、結成されたとされる。

一般に創立党員は57人とされるが57人の名前が明確に示された文献はなく、本当に57人であるかは定かではない。結成時に上海に集まった党員は13人であるとする説もあるが、公式記録では、12人とされている。また、顧問として、国家社会主義ドイツ労働者党政治局員が招聘されている。なお、創立党員で大東亜国家社会主義国建国まで生き残り、かつ、死ぬまで「大東亜国家社会主義党」内での名誉を保ちつづけた者は張三高と海宇南のみとされる。

役職

歴代代表

初代総裁 張三高
(2代目以降は不明だが、張氏の世襲制となってると言われている。)

党役員

(不明。李氏と法氏が独占しているものと考えられている。)
役職氏名議会備考
代表(不明)大東亜帝国臣民代表議会
副代表(不明)、、
最高顧問(不明)、、
幹事長(不明)、、

政治的思想・立場

党内では総統?の指導を絶対のものとして受け入れるという点においては、あまり異論はないが、国家社会主義運動の内実は地域ごとの党組織や党職能組織、親衛隊、党有力者がその時々の状況に応じて勝手に活動していることが多く、統一された運動とは言い難い。農民に対する物を除けばまとまった政策綱領のようなものは存在していない。しかしそれが党の各組織を競合的に発展させ、運動にダイナミズムを与えている。

軍閥政治による社会不安や民国政府の混迷の原因をすべて中華民国、共産主義者に帰せ、強力な指導者が導く「民族共同体」を樹立することが必要であるとする単純なスローガンや運動が持つ若々しさは恐慌に喘ぐ国民に現状突破のシンボルとして広く訴えかけるものがあった。国家社会主義党は中華民国憲法体制を一括して全否定することによって自らを既存体制側政党と対決する基本的選択肢であることを示した。競合する他党を影響力を持つ社会的利害団体の傀儡に過ぎないと中傷して自らを唯一の国民運動と宣伝している。

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