最終更新: ecoyuri1952 2021年09月01日(水) 09:32:23履歴
大分市(おおいたし)は、豊後府の県庁所在地である。古くは大友宗麟の時代から栄え続けた府都は、16世紀に流れてきた西洋音楽と東洋音楽が融合し、日本の楽都と呼ばれている。また、柞原八幡宮や大友氏遺跡などの歴史と文化溢れる街としても名高い。九州における文化の都として、また県都として栄えている。
瀬戸内海の別府湾に面し、東部には南から大野川が、西部には西から大分川が流れ、瀬戸内海に注いでいる。大分川及び大野川が形成した三角州及び沖積平野からなる大分平野と、その周りの丘陵を抱え、中心市街は、大分川の河口西側に位置する。別府市との境界付近にあってニホンザルで知られる高崎山地区、及び、豊予海峡に浮かぶ高島地区は、瀬戸内海国立公園に指定されている。森林セラピー基地認定地域。
高速道路の豊後自動車道が市域をほぼ東西に貫通し、一般国道の国道10号等と接続している。
市内の郊外地域ではニュータウンやショッピングセンターなどの開発により、人口の増加が著しい。
東端 - 東経131度57分46秒
西端 - 東経131度25分07秒
南端 - 北緯 33度04分11秒
北端 - 北緯 33度17分24秒
また、行政区分として区が設定されている。詳細は後述。
瀬戸内海式気候に属し、年間を通じて温暖、少雨である。平均気温は16.4℃、降水量1644.6mm(平年値)。ただし、旧大分郡野津原町地域は障子岳、御座ヶ岳等の600?800m級の山々が連なり、内陸部への入り口に当たるため内陸性気候に属し、平地より気温が若干低くなる。
気温 - 最高37.8℃(2013年(平成25年)7月24日、最低-7.8℃(1918年(大正7年)2月19日)
最大降水量 - 443.7ミリ(1908年(明治41年)8月10日)
最大瞬間風速 - 44.3メートル(1999年(平成11年)9月24日)
夏日最多日数 - 152日(2005年(平成17年))
真夏日最多日数 - 75日(1990年(平成2年)、2010年(平成22年))
猛暑日最多日数 - 24日(2013年(平成25年))
熱帯夜最多日数 - 35日(2010年(平成22年))
冬日最多日数 - 67日(1918年(大正7年)、1936年(昭和11年))
文化と歴史溢れる府都 | |
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大 分 | |
左上・大分市全景、右上・大分駅?、左下・府内音楽堂?、中央下・柞原八幡宮?、右下、府内音楽公園? | |
基本情報 | |
人口 | 677,701人(推計・2019年10月1日) |
面積 | 502.38km2 |
大分市役所 | |
市長 | 松本 真奈? |
議会 | 大分市議会 |
議会与党 | 府民ファーストの会 |
府内区高砂町より。前方右には府内港?、別府湾。見切れている別府湾には瓜生村?、府内国際空港?がある。左には国道10号線?奥には高崎山? |
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瀬戸内海の別府湾に面し、東部には南から大野川が、西部には西から大分川が流れ、瀬戸内海に注いでいる。大分川及び大野川が形成した三角州及び沖積平野からなる大分平野と、その周りの丘陵を抱え、中心市街は、大分川の河口西側に位置する。別府市との境界付近にあってニホンザルで知られる高崎山地区、及び、豊予海峡に浮かぶ高島地区は、瀬戸内海国立公園に指定されている。森林セラピー基地認定地域。
高速道路の豊後自動車道が市域をほぼ東西に貫通し、一般国道の国道10号等と接続している。
市内の郊外地域ではニュータウンやショッピングセンターなどの開発により、人口の増加が著しい。
東端 - 東経131度57分46秒
西端 - 東経131度25分07秒
南端 - 北緯 33度04分11秒
北端 - 北緯 33度17分24秒
また、行政区分として区が設定されている。詳細は後述。
瀬戸内海式気候に属し、年間を通じて温暖、少雨である。平均気温は16.4℃、降水量1644.6mm(平年値)。ただし、旧大分郡野津原町地域は障子岳、御座ヶ岳等の600?800m級の山々が連なり、内陸部への入り口に当たるため内陸性気候に属し、平地より気温が若干低くなる。
気温 - 最高37.8℃(2013年(平成25年)7月24日、最低-7.8℃(1918年(大正7年)2月19日)
最大降水量 - 443.7ミリ(1908年(明治41年)8月10日)
最大瞬間風速 - 44.3メートル(1999年(平成11年)9月24日)
夏日最多日数 - 152日(2005年(平成17年))
真夏日最多日数 - 75日(1990年(平成2年)、2010年(平成22年))
猛暑日最多日数 - 24日(2013年(平成25年))
熱帯夜最多日数 - 35日(2010年(平成22年))
冬日最多日数 - 67日(1918年(大正7年)、1936年(昭和11年))
古代には、現在の大分市周辺は大分郡(おほきたのこほり)と呼ばれ、現在の市の中心部からやや南に外れた大分川下流沿い(現在の古国府)に、豊後国の国府が置かれたと推測されている。
現在の市名、「大分」の名は、『豊後国風土記』によれば、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と言って名づけたもので、「碩田」が後に「大分」と書かれるようになったとされる。実際には大分平野はさほど広大であるとは言えないため、今日では、景行天皇の言葉は、平野の広大さではなく、多くの田が並ぶ様子を描写したものと解されているが、いずれにしても大分平野に古くから田圃が開けていたことを示すものと言える。
現在の市名、「大分」の名は、『豊後国風土記』によれば、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と言って名づけたもので、「碩田」が後に「大分」と書かれるようになったとされる。実際には大分平野はさほど広大であるとは言えないため、今日では、景行天皇の言葉は、平野の広大さではなく、多くの田が並ぶ様子を描写したものと解されているが、いずれにしても大分平野に古くから田圃が開けていたことを示すものと言える。
鎌倉時代には大友氏が豊後国守護に任じられ、第3代当主大友頼泰(貞応元年(1222年) - 正安2年(1300年))の代に豊後国に下向して土着した。元弘3年(1333年)には豊後国の守護職に任ぜられている。室町時代に入ると、第7代当主大友氏泰は、拠城をわずかに北にずらして大分川河口付近に館を構えた(現在の市の中心部の東側で、顕徳町等にあたる)。これが現在に連なる城下町のはじまりで、町の名を府内といった。
戦国時代に府内は、九州を統一した第21代当主大友義鎮(宗麟)のもとで、日本で初めての西洋式の病院が開設されるなど、南蛮文化を受容し栄えた。さらに音楽が流入し府内音楽堂?が設立され、楽都府内の源流となる。その後大友家が改易されると、数々の大名が入れ替わりつつ明治維新を迎えた。
近年、大分駅付近の連続立体交差事業および区画整理事業に伴い、大友氏館跡をはじめとする中世から戦国時代にかけての府内の遺跡が発掘され、2001年には大友氏館跡として国の史跡に指定されている。
戦国時代に府内は、九州を統一した第21代当主大友義鎮(宗麟)のもとで、日本で初めての西洋式の病院が開設されるなど、南蛮文化を受容し栄えた。さらに音楽が流入し府内音楽堂?が設立され、楽都府内の源流となる。その後大友家が改易されると、数々の大名が入れ替わりつつ明治維新を迎えた。
近年、大分駅付近の連続立体交差事業および区画整理事業に伴い、大友氏館跡をはじめとする中世から戦国時代にかけての府内の遺跡が発掘され、2001年には大友氏館跡として国の史跡に指定されている。
臨海工業地帯が招致されると、周辺部の丘陵地帯には次々に大規模な住宅団地が造成され、城南団地、明野団地、敷戸団地などのニュータウンがスプロール化して連なる特異な郊外環境が誕生した。
新文化都市としての発展にともない、1970年代には長崎屋、ダイエー、ニチイ、ジャスコ、西友などの大型スーパーが大分駅前に多数進出し、地場百貨店のトキハなどとともに駅前型の繁華街が形成された。さらに、大分駅の高架化に伴い2015年(平成27年)春にアミュプラザおおいたが開業している。
新文化都市としての発展にともない、1970年代には長崎屋、ダイエー、ニチイ、ジャスコ、西友などの大型スーパーが大分駅前に多数進出し、地場百貨店のトキハなどとともに駅前型の繁華街が形成された。さらに、大分駅の高架化に伴い2015年(平成27年)春にアミュプラザおおいたが開業している。
大分市役所は大分市の行政全般を担当する中枢機関である。
大分市の行政官庁 大分市役所 | |
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役職 | |
市長 | 松本 真奈? |
副市長 | 森山 栄治? |
組織 | |
市長直轄 | 市制改革本部 |
総務局 | 総務部 |
総合防災部 | |
行政改革推進部 | |
情報システム部 | |
行政監察室 | |
行政部 | |
統計部 | |
人権部 | |
外交部 | |
大蔵局 | 財政部 |
管財部 | |
税制部 | |
市民税部 | |
資産税部 | |
納税部 | |
市民局 | 市民共労部 |
生活安全部 | |
国民年金部 | |
公民館連絡部 | |
厚生労働局 | 福祉保険部 |
多世代交流部 | |
指導監察部 | |
人権対策部 | |
長寿福祉部 | |
障害福祉部 | |
生活福祉部 | |
保健総務部 | |
衛生部 | |
健康部 | |
保健予防部 | |
労政部 | |
子育て支援局 | こども企画部 |
子育て支援総合本部 | |
保育、幼児教育部 | |
保育所連絡部 | |
環境局 | 環境対策部 |
環境分析部 | |
ごみ減量推進部 | |
清掃施設部 | |
廃棄物対策部 | |
商工観光局 | 創業経営支援部 |
産業活性化本部 | |
おおいた魅力広報局 | |
観光部 | |
農林水産局 | 農政部 |
生産振興部 | |
林業水産部 | |
土木建築局 | 土木管理部 |
道路建設部 | |
道路維持部 | |
河川部 | |
建築部 | |
住宅部 | |
都市計画局 | 都市計画部 |
都市交通対策部 | |
営団管理部 | |
国鉄調整部 | |
まちなみ整備部 | |
公園緑地部 | |
開発建築指導部 | |
開発指導室 | |
まちなみ企画部 | |
議会事務局 | 総務部 |
議事部 | |
政調部 | |
教育委員会 | 教育総務部 |
豊教組撲滅小委員会 | |
学校教育部 | |
学校施設部 | |
体育保健部 | |
文化財部 | |
文化部 | 楽都総合本部 |
音楽発展部 | |
音楽文化財保全部 | |
クラシック音楽研究部 | |
新音楽研究部 | |
ホール管理部 | |
府内音楽堂職員部 | |
美術発展部 | |
美術館管理部 | |
芸術保護部 | |
消防局 | 総務部 |
警防部 | |
予防部 | |
通信指令部 | |
水道局 | 総務部 |
経営企画部 | |
水道管維持管理部 | |
水道整備部 | |
浄水部 | |
下水処理部 | |
会計局 | 会計部 |
選挙管理委員会 | 事務局 |
監査事務局 | 事務局 |
農業委員会 | 事務局 |
固定資産税評価審査委員会 | 総務部 |
公平委員会 | 本部 |
所在地 | 〒870-8054 大分市大手町2番31号 |
日本国営鐵道?
府内中央駅前停留所
竹町停留所
大分県警察本部前停留所
新川停留所
浜町停留所
春日浦停留所
王子町停留所
大分港前停留所
西府内駅前停留所
かんたん停留所
白木停留所
仏崎信号所
田ノ浦停留所
別院前停留所
竹町停留所
大分県警察本部前停留所
新川停留所
浜町停留所
春日浦停留所
王子町停留所
大分港前停留所
西府内駅前停留所
かんたん停留所
白木停留所
仏崎信号所
田ノ浦停留所
別院前停留所
府内中央駅
千代町駅
王子町駅
千代町駅
王子町駅
今市区には大日本帝国軍の駐屯地が存在する。
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