最終更新: ecoyuri1952 2020年11月15日(日) 14:59:29履歴
別大線(べつだいせん 英:Betsudai Line)は、大分県大分市府内中央駅前停留所から別府市の亀川駅前停留所までを、別大国道に沿って結んでいる一宮交通の軌道線である。通称「別大電車」。
別大線 | |
---|---|
起点 | 府内中央駅前停留所 |
終点 | 亀川駅前停留所 |
停留所数 | 36 |
開業 | 1900年 |
所有者 | 一宮交通 |
運営者 | |
路線総延長 | 18.9km |
軌間 | 1,067 mm |
複線区間 | 府内中央駅前 - かんたん 両郡橋 - 亀川駅前 |
電化 | 直流600 V 架空電車線方式 |
別大線は府内中央駅前停留場から亀川駅前停留場までの本線と、北浜停留場から別府駅前停留場までの支線の総計18.9km軌道線である。起点府内中央駅前側から見て両郡橋停留場を過ぎた地点に大分市と別府市の境界があり、両郡橋停留場までが大分市内、次の東別府駅前停留場から終点亀川駅前までが別府市内に位置している。また別大線は豊州本線に沿って敷設されており、豊州本線府内中央駅・西府内駅・東別府駅・別府駅・亀川駅の5駅に対応してそれぞれ「駅前」停留場を置いている。
複線区間は、起点側では府内中央駅前からかんたん停留場までの3.8km。新川停留場までは南北方向、新川から先は東西方向の道路に敷設された併用軌道でもあった。この区間は「大分市内」と呼ばれている。かんたん停留場から東別府駅前停留場までの7.3kmは別府湾に沿う国道10号の陸側(豊州本線側)に敷設された専用軌道区間で、うち両郡橋停留場までの6.6kmは単線区間である。単線区間では、白木停留場の先にあった仏崎信号所と別院前停留場の2か所で列車の行き違いを行っている。残る東別府駅前から終点亀川駅前までの7.3kmは「別府市内」と呼ばれた区間で、全線複線であり亀川駅付近の専用軌道区間を除いて国道10号上に敷設されている。
複線区間は、起点側では府内中央駅前からかんたん停留場までの3.8km。新川停留場までは南北方向、新川から先は東西方向の道路に敷設された併用軌道でもあった。この区間は「大分市内」と呼ばれている。かんたん停留場から東別府駅前停留場までの7.3kmは別府湾に沿う国道10号の陸側(豊州本線側)に敷設された専用軌道区間で、うち両郡橋停留場までの6.6kmは単線区間である。単線区間では、白木停留場の先にあった仏崎信号所と別院前停留場の2か所で列車の行き違いを行っている。残る東別府駅前から終点亀川駅前までの7.3kmは「別府市内」と呼ばれた区間で、全線複線であり亀川駅付近の専用軌道区間を除いて国道10号上に敷設されている。
別大線を建設した豊後電気軌道株式会社(豊後電軌)は、1894年(明治27年)に軌道敷設特許を得たのを受けて2年後の1896年(明治29年)に設立された。
4年後の1900年(明治33年)5月10日に、豊後電気軌道は別府停留場から堀川停留場に至る、全長10.78kmの軌道線を開業させた。これが別大線で最初に開業した区間である。
その後、1902年(明治35年)には堀川停留場から竹町通停留場まで延伸された。ほぼ同時期に、貨物輸送も開始された。
しかし、経営不振から経営陣の頻繁な交代や株主間の対立など社内は混乱するようになる。そのような中で元役員を中心とする債権者が大分地方裁判所に対し会社の破産申請の訴訟を起こし、1904年(明治37年)に豊後電気軌道は破産宣告を受けてしまう。その後同社は債権者に財産一切を譲渡して負債を消却するという破綻処理をとることとなり、1906年(明治39年)の臨時株主総会で会社解散を決議した。
そして同年、大分電気軌道(大分電軌)が、破綻した豊後電気軌道から事業一切を引き継いで経営の再建に着手した。
新体制となった大分電気軌道では積極経営を展開し、線路・車両の改修や電気事業の拡大を図った。
1916年(大正5年)、大分電気軌道は当時、積極的な事業統合を展開していた一宮交通株式会社に合併された。
一宮交通の時代になると急速に路線延伸が進んだ。まず大分市側で延伸され、1917年(大正8年)には、外濠停留場まで開業し、さらに1919年(大正8年)で府内中央駅前停留場まで開業して府内中央駅前への乗り入れを果たした。1922年(大正11年)には、警察署前停留場とかんたん停留場間に、海岸寄り(新川停留場)経由の新線が開業する。堀川経由の旧線はしばらく残されたが、1925年(大正14年)12月に営業を停止している。一方別府市側では、1922年に別府停留場が移設され、大阪行きの船が発着する別府港桟橋まで延長された。
1928年(昭和2年)に亀川延伸の軌道敷設特許を取得した。そして翌1929年(昭和4年)、その第1段階として既設別府桟橋停留場から境川停留場までの区間と、その途中の北浜停留場から別府駅前停留場へ至る別府駅連絡用の支線を開業させた。残る境川から亀川新川停留場までの区間は1930年(昭和5年)に開業している。車両については、大分電気軌道からの継承客車が14両あったが、老朽化が進んでいたためボギー車への置き換えを進め、1928年に10両、1929年に5両、1930年(昭和7年)にも2両と、順次ボギー車を増備して近代化を進めた。
また経営の多角化も進展した。まず1920年代になって参入が相次いでいた路線バス事業へと進出し、1927年に別府・大分間で運行されていた個人経営バスの営業権を買収した。バス兼営は電車乗客の流出防止を目的としていたが、その後別府と杵築を結ぶバスの営業権も買収し、電車沿線以外にもバス路線網を拡大していった。その結果、1932年時点で車両19台により5路線を運転するに至った。バス以外では、亀川での天然砂場運営(1933年開業)を手掛けていた。
電車以外の交通機関の輸送状況が好転するにつれて、併走する国鉄豊州本線やバスとの競争が激しくなり、別大線の乗客は減少傾向となった。対策として1951年(昭和26年)、単線区間の交換場所変更と車両歯車比変更による速度向上を実施し、全線の運転時間を54分から50分へと短縮した。また観光地として沿線の高崎山が脚光を浴びたため最寄の別院前停留場を改修し、長距離客に同停留場での途中下車を認可するなどの観光客誘致策を実施している。
車両面では1949年(昭和24年)に1932年以来の新車となる200形5両を導入したのを皮切りに、1954年(昭和29年)に300形2両、1956年(昭和31年)から1959年(昭和34年)にかけて500型7両を導入した。これらの新車は輸送力を増やすため連結運転可能な仕様とされ、その後在来車の100型も連結運転に対応するよう改造された(150型)。
1962年(昭和37年)には、朝ラッシュ時の輸送力増強を目的として2車体連接の1000型1編成が登場、さらに翌1963年(昭和38年)には2両を背中合わせに連結した大型車1100型2編成も導入された。
1960年代後半から、国道10号線の交通量増加による道路拡張計画が浮上したが、海をさらに埋め立てることで解決、速度向上もさらに進み、大分県内の主要な路線として地域社会に根付いている。
4年後の1900年(明治33年)5月10日に、豊後電気軌道は別府停留場から堀川停留場に至る、全長10.78kmの軌道線を開業させた。これが別大線で最初に開業した区間である。
その後、1902年(明治35年)には堀川停留場から竹町通停留場まで延伸された。ほぼ同時期に、貨物輸送も開始された。
しかし、経営不振から経営陣の頻繁な交代や株主間の対立など社内は混乱するようになる。そのような中で元役員を中心とする債権者が大分地方裁判所に対し会社の破産申請の訴訟を起こし、1904年(明治37年)に豊後電気軌道は破産宣告を受けてしまう。その後同社は債権者に財産一切を譲渡して負債を消却するという破綻処理をとることとなり、1906年(明治39年)の臨時株主総会で会社解散を決議した。
そして同年、大分電気軌道(大分電軌)が、破綻した豊後電気軌道から事業一切を引き継いで経営の再建に着手した。
新体制となった大分電気軌道では積極経営を展開し、線路・車両の改修や電気事業の拡大を図った。
1916年(大正5年)、大分電気軌道は当時、積極的な事業統合を展開していた一宮交通株式会社に合併された。
一宮交通の時代になると急速に路線延伸が進んだ。まず大分市側で延伸され、1917年(大正8年)には、外濠停留場まで開業し、さらに1919年(大正8年)で府内中央駅前停留場まで開業して府内中央駅前への乗り入れを果たした。1922年(大正11年)には、警察署前停留場とかんたん停留場間に、海岸寄り(新川停留場)経由の新線が開業する。堀川経由の旧線はしばらく残されたが、1925年(大正14年)12月に営業を停止している。一方別府市側では、1922年に別府停留場が移設され、大阪行きの船が発着する別府港桟橋まで延長された。
1928年(昭和2年)に亀川延伸の軌道敷設特許を取得した。そして翌1929年(昭和4年)、その第1段階として既設別府桟橋停留場から境川停留場までの区間と、その途中の北浜停留場から別府駅前停留場へ至る別府駅連絡用の支線を開業させた。残る境川から亀川新川停留場までの区間は1930年(昭和5年)に開業している。車両については、大分電気軌道からの継承客車が14両あったが、老朽化が進んでいたためボギー車への置き換えを進め、1928年に10両、1929年に5両、1930年(昭和7年)にも2両と、順次ボギー車を増備して近代化を進めた。
また経営の多角化も進展した。まず1920年代になって参入が相次いでいた路線バス事業へと進出し、1927年に別府・大分間で運行されていた個人経営バスの営業権を買収した。バス兼営は電車乗客の流出防止を目的としていたが、その後別府と杵築を結ぶバスの営業権も買収し、電車沿線以外にもバス路線網を拡大していった。その結果、1932年時点で車両19台により5路線を運転するに至った。バス以外では、亀川での天然砂場運営(1933年開業)を手掛けていた。
電車以外の交通機関の輸送状況が好転するにつれて、併走する国鉄豊州本線やバスとの競争が激しくなり、別大線の乗客は減少傾向となった。対策として1951年(昭和26年)、単線区間の交換場所変更と車両歯車比変更による速度向上を実施し、全線の運転時間を54分から50分へと短縮した。また観光地として沿線の高崎山が脚光を浴びたため最寄の別院前停留場を改修し、長距離客に同停留場での途中下車を認可するなどの観光客誘致策を実施している。
車両面では1949年(昭和24年)に1932年以来の新車となる200形5両を導入したのを皮切りに、1954年(昭和29年)に300形2両、1956年(昭和31年)から1959年(昭和34年)にかけて500型7両を導入した。これらの新車は輸送力を増やすため連結運転可能な仕様とされ、その後在来車の100型も連結運転に対応するよう改造された(150型)。
1962年(昭和37年)には、朝ラッシュ時の輸送力増強を目的として2車体連接の1000型1編成が登場、さらに翌1963年(昭和38年)には2両を背中合わせに連結した大型車1100型2編成も導入された。
1960年代後半から、国道10号線の交通量増加による道路拡張計画が浮上したが、海をさらに埋め立てることで解決、速度向上もさらに進み、大分県内の主要な路線として地域社会に根付いている。
'//:複線区間
◇:単線区間(列車交換可能)
|:単線区間(列車交換不可)
∨:ここより下は単線(列車交換可能)
∧ここより上は単線(列車交換可能)
◇:単線区間(列車交換可能)
|:単線区間(列車交換不可)
∨:ここより下は単線(列車交換可能)
∧ここより上は単線(列車交換可能)
停留所名 | 停留所間キロ | 営業キロ | 接続 | 単線/複線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
府内中央駅前停留所 | - | 0.0 | 国鉄 東九州新幹線? 国鉄 四国新幹線? 国鉄 九州横断新幹線? 国鉄 豊州本線 国鉄 豊薩本線? 国鉄 久府本線? 国鉄 豊肥本線? 国鉄 豊予線 一宮交通 地下鉄南北線 一宮交通 地下鉄東西線 一宮交通 地下鉄今市線 一宮交通 地下鉄空港線 | // | 府内市 |
竹町停留所 | 0.4 | 0.4 | // | ||
大分県警察本部前停留所 | 0.4 | 0.8 | // | ||
新川停留所 | 0.5 | 1.3 | 一宮交通 地下鉄南北線 一宮交通 地下鉄大府内線 | // | |
浜町停留所 | 0.5 | 1.8 | // | ||
春日浦停留所 | 0.5 | 2.3 | 一宮交通 地下鉄大府内線 | // | |
王子町停留所 | 0.4 | 2.7 | 一宮交通 地下鉄空港線 | // | |
大分港前停留所 | 0.2 | 2.9 | フェリーさんふらわあ | // | |
西府内駅前停留所 | 0.6 | 3.5 | 国鉄 豊州本線 一宮交通 地下鉄大府内線 | // | |
かんたん停留所 | 0.3 | 3.8 | ∨ | ||
白木停留所 | 2.0 | 5.8 | | | ||
仏崎信号所 | 1.1 | 6.9 | ◇ | ||
田ノ浦停留所 | 0.8 | 7.7 | | | ||
別院前停留所 | 0.9 | 8.6 | ◇ | ||
両郡橋停留所 | 1.9 | 10.5 | ∧ | ||
東別府駅前停留所 | 0.6 | 11.1 | 国鉄 豊州本線 | // | 別府市? |
浜脇停留所 | 0.4 | 11.5 | // | ||
永石通停留所 | 0.5 | 12.0 | // | ||
流川通停留所 | 0.2 | 12.2 | // | ||
北浜停留所 | 0.4 | 12.6 | 別府駅支線 | // | |
仲間通停留所 | 0.2 | 12.8 | // | ||
富士見通停留所 | 0.3 | 13.1 | // | ||
境川停留所 | 0.4 | 13.5 | // | ||
餅ヶ浜停留所 | 0.6 | 14.1 | // | ||
国際観光港停留所 | 0.7 | 14.8 | // | ||
春木川停留所 | 0.6 | 15.4 | // | ||
深町停留所 | 0.4 | 15.8 | // | ||
六勝園停留所 | 0.4 | 16.2 | 国鉄 豊州本線 一宮交通 地下鉄空港線 | // | |
聖人ヶ浜停留所 | 0.3 | 16.5 | // | ||
遺族会館前停留所 | 0.2 | 16.7 | // | ||
照波園停留所 | 0.3 | 17.0 | // | ||
亀陽泉前停留所 | 0.8 | 17.8 | // | ||
亀川新川停留所 | 0.3 | 18.1 | // | ||
亀川駅前停留所 | 0.3 | 18.4 | 国鉄 豊州本線 | // |
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