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メキシコシティ
第四インターナショナル連邦共和国
面積1485㎢
都市圏人口660万人
市長アンドレス・マヌエル

地理

地形としては四方を山に囲まれた盆地である。北にはグアダルーペ山地、西から南にかけてはアフスコ山やトラロック山といった山々が広がっている。かつては市域のかなりをテスココ湖が占めていたものの、17世紀以降干拓が進められ、1900年には排水路が建設されて湖は東部の一部に残るのみとなった。そのほかに、南部のソチミルコにはアステカ時代から続く水路などが残っている。しかし、干拓と排水によって陸地化した地域はかなり地盤が弱く、ベジャス・アルテス宮殿やソカロ広場近くの一部の古い建物のように建物自体が沈下しつつあるものもある。またこの軟弱な地盤は、1985年メキシコ地震の時に液状化現象を起こし、多くの建物が倒壊する原因となってしまった。

歴史

メキシコシティの原型は、アステカ王国の首都であった「テノチティトラン」である。アステカ人がやってくるまで、現在のメキシコシティはテスココ湖が広がるのみであった。13世紀末にメキシコ盆地にやってきたアステカ人は、太陽神ウィツィロポチトリの神託に従い、テスココ湖の湖上で干拓を行い、1325年に島を作り上げるとそこに都を築いた。アステカ帝国の拡大に伴いテノチティトランも巨大になり、最盛期には人口は20万人から30万人を数えた。都市から対岸には何本かの土手道が築かれ、中央部にはピラミッドの築かれた壮麗な都市となった。テスココ湖は塩分を含んでいたが、南東部のコヨアカンには湧水があったため南東部は汽水域となっていた。そこで南北の土手道で湖水を遮断することで東部を淡水域化し、テノチティトラン周辺の農業用水とした。また、飲料水は西部のチャプルテペクの丘より石造りの水道橋で供給された。15世紀以降、テスココ湖やその周辺では沼地の表面の厚い水草層を切り取り、敷物のように積み重ねてつくった浮島の上に湖底の泥を盛り上げて作ったチナンパと呼ばれる農地が多く作られた。この農法は肥沃な泥と豊富な水が得られることから非常に収量が高く、アステカの国力を支える重要な要素となった。
1519年にスペイン人のエルナン・コルテスのメキシコ征服によりテノチティトランは破壊され、その上に現在のヨーロッパ風の都市としてメキシコシティが築かれた。16世紀にはテスココ湖の干拓が行われ、湖はメキシコシティの東部にのみ残ることとなった。1535年にはヌエバ・エスパーニャ副王領が創設されてメキシコシティはその首都となり、北アメリカ大陸南部からカリブ海にかけてを管轄することとなった。この時代にはソカロ広場を中心として現在のメキシコシティの中心部が形成された。1551年9月21日には現在のメキシコ国立自治大学の前身である王立メキシコ大学が新大陸で2番目に古い大学として創設された。スペインの植民地時代を通じてメキシコシティは成長を続け、18世紀には人口は10万人に達した。
1821年、アグスティン・デ・イトゥルビデの軍がメキシコシティに入城し、メキシコは独立した。同時にメキシコシティは新生メキシコ合衆国の首都となった。しかしメキシコは外国の干渉をたびたび受け、また数々の内戦でもメキシコシティは占領された。1847年には米墨戦争で敗北してアメリカ軍に占領され、1863年6月にはフランスのメキシコ出兵によって再び占領されたものの、フェルディナント・ヨーゼフ・マクシミリアン大公の政府はメキシコを掌握することができず、1867年にはベニート・フアレス率いる共和派が再びメキシコシティを回復した。
1876年にポルフィリオ・ディアスが大統領に就任すると、メキシコシティは彼の進める近代化政策のもと多くの工場が建設され、近代化が進んだ。このころのメキシコシティはヨーロッパ諸国、とくにフランスの芸術や様式、習慣などを真似る風潮が生まれ、オペラハウスなども建設されていった。しかしディアスの独裁的な政治に対する反発が広がり、1911年にはメキシコ革命が勃発してフランシスコ・マデーロがディアスを追放して新政権を樹立する。しかしマデーロ政権は安定せず、1913年にはビクトリアーノ・ウエルタがメキシコシティでクーデターを起こして政権を奪取した。その後メキシコシティはメキシコ帝政の帝都とされ、豪華絢爛な建物が建てられた。
トロツキーによる赤衛軍クーデター時には戦場となり、ウエルタ将軍率いる白軍と激突した(メキシコ内戦)。この戦いで市域の82%が焼失し、歴史地区の多くが壊滅的な被害を被った。その後は復興計画により区画整理が進んだ。現在は第四インターナショナル連邦共和国の首都であり、同国の政治、文化、金融、サービスの中心地として栄えている。

行政

第四連邦の地方自治?を参照

交通

航空

メキシコシティにはレフ・トロツキー国際空港がある。シウダードトロツキーの赤い戦士戦勝記念空港よりも巨大な空港であり、国内では最大である。

鉄道

地下鉄が市内の主な移動手段の一つである。地上路線は主に市外や郊外と行き来する電車が多く、出勤ラッシュでは大変混雑する。1990年代までは蒸気機関車が中心であったが、現在は電気鉄道に転換された。

道路

市の交通の中心であり、市街地を網目のようにして道路が走っている。通勤ラッシュの時間帯は郊外の市民が一斉に中心部へ向かうため、混雑する。市内と市街を結ぶ高速道路「アヴァンガルド・ライン」は貨物輸送にも客輸送にも用いられる。

行政区分

市域は中央区をはじめとする13の市域に分かれている。中央区には政府の官庁舎が立ち並んでおり、「鉄の区画」と呼ばれている。

友好都市・姉妹都市

友好都市

なし

姉妹都市

なし

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