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国家情報

紀元前100年〜2年
国名東越*1
公用語古代漢語
首都ラワグ?
初代国王趙琳燕
7代国王趙政苞
政治体制王政
通貨半両銭

概要

中国南方からベトナム北部にかけて存在した南越の王族が滅亡後に海を渡り、ルソン島北部にたどり着き、建国した国家である。事実上カタガルガン=マハルリカ社会主義連邦に初めて建国された国家となった。更にこの国の官僚の子孫がのちにタガログ王国を建国し、それによって国内で様々な国家が形成されるきっかけとなるなど歴史的影響はかなり大きい国である。

国内情報

歴史

南越の王族であった趙琳燕はかろうじて前漢による侵攻時に逃げ延びる事に成功した。しかし、これ以上大陸での再起は不可能と判断した彼は一か八か渡航して逃げ延びることに決めた。案内役に漁師の汪壇を付けた琳燕は途中嵐に巻き込まれてルソン島北部に流れ着いた。そこにはいまだ大陸の人間の影響は少なく、追手の心配はないと判断した趙琳燕は現地の言葉を学びつつ南越の再興に着手した。その際に案内役だったが帰れなくなった汪壇を補佐官として各地を回り付近の村々を支配下に置いて行った。そして彼が建国したときにはルソン島北部一帯を支配する国家となっていた。
しかし、もともとルソン島だけではなくこの時代のカタガルガン=マハルリカ社会主義連邦の領土において国家が存在したことがなく趙琳燕は国家に属していると支配下に置いた村人たちに意識を持たせることで彼は生涯をかけることとなった。そのおかげで東越は国家として機能するようになり、次代の趙杏政の代に黄金時代を迎えることとなった。
趙杏政は領土拡大を目指して侵略を開始した。趙杏政は20年の侵略でルソン島北部を完全に征服。100を超える村々を支配下において確固たる権力を獲得することに成功した。趙杏政はそれだけではなく前漢との戦いを想定したようで彼の時代の文官の手記にはそのような趣旨の内容が残っている。しかし、彼は突如として病死してしまい前漢への侵攻は幻のものとなった。
趙杏政の死はあまりにも唐突すぎて彼の死後東越は一気に滅びの道へと突き進むこととなった。彼が侵略した東部の領土では反乱が多発し僅か10年ですべてを喪失する結果となった。それに加えて3代国王が死去するとその弟と息子の間で後継者争いが発生。両者の勢力はほぼ拮抗しており4代国王に息子がなれたのはそこから10年後の事であった。
この内乱がきっかけとなり東越の滅びは確実なものになった。5代国王は即位後10日で暗殺され、その弟が国王に即位した。そして7代国王の代には大きな反乱が発生。2年の時にラワグの王宮に火がつけられ趙一族は全滅することとなった。これ以降ルソン島北部は国家が存在しない地域となり、この地に国家が誕生するのは300年以上先の事である。

領土

ルソン島の北西部を領土としており、趙杏政の時代に10数年の間だけ北東部を支配下に置いていた。

政治

東越の政治は南越のものと大した違いはない。精々国家に属していると意識を持たせることが必要だったくらいだけである。

歴代国王


歴代の国王は大陸の人間としてのプライド故か近親相姦の傾向にあった。趙琳燕が建国後南越から逃れてきた者達が多く流入してきている。彼らと交わった国王はその後一族のみの交配に頼るようになり、結果的に劣性遺伝が発生。短命や病気にかかりやすい者が続出する結果となり、東越末期の王族は皆50年を超えられずに亡くなっている。
趙琳燕(B.C.126〜B.C.77/B.C.100〜B.C.77)
初代国王。
趙杏政(B.C.97〜B.C.58/ B.C.77〜B.C.58)
2代国王。20年にわたる遠征によって東越の最大領域を獲得するがあまりにも早い死によって東越の滅亡の遠因ともなった。
名称不明(B.C.??〜B.C.32/ B.C.58〜B.C.32)
3代国王。趙杏政が手に石れた領土を喪失させることとなったために無能の烙印が押されているが実際には遠征で手に入れた領土以外の造反を防ぐなど政治的に見れば一定の評価を得られる功績を残している。
名称不明(B.C.57〜B.C.7/ B.C.22〜B.C.7)
4代国王。3代国王の息子だが彼の弟である趙劉政と王位をめぐって10年にわたり内乱状態となった。結果的に勝利するに至り王位を継いだがそれにより彼は残りの生涯を東越の戦後処理に追われる事となった。
趙殷政(B.C.39〜B.C.7/ B.C.7〜B.C.7)
5代国王。趙杏政を超える優秀な人物として期待されていたが即位後僅か10日で暗殺されることとなった。歴史学者の中には彼が生きていれば東越の滅亡はずっと先の事であり、さらにはルソン島北部一帯が東越の領土となっていた可能性があると言われているほどの人物であった。
趙燕政(B.C.35〜A.D.2/ B.C.7〜A.D.2)
6代国王。兄の死後即位するが兄ほどの能力を有していなかった為にいずれは兄の子供たちに後を継がせようとしていたが兄の次男は即位前に、長男は即位から5年後の紀元前2年に病死している。結果的に彼が統治をおこなうことになったが彼も近親相姦による影響で短命であったために彼も即して僅か9年後に病死した。病死する1年前より政務ができないほどの床に臥せっていたために東越の政治は一時的に混乱状態に陥り、大反乱の直接的な原因となった。
趙政苞(B.C.11〜A.D.2/ A.D.2〜A.D.2)
7代国王。父親の死後即位したがその時点で東越の治世は末期であり、彼の即位後すぐに大規模な反乱が発生し、何か支持を出す暇もなく彼は王宮とともに焼き殺される結果となった。

その他の王族

趙劉政(B.C.71〜B.C.22)
趙杏政の次男で3代国王の弟。野心が強い人物であり自らが国王になる事を夢見ていた。その結果として兄の死後に自分を心棒する者達とともに反乱を起こした。これは両者の勢力が拮抗したことで10年に渡る内戦となった。更に王族の暗殺も積極的に行っており、3代国王の次男、趙罫政(4代国王の三男)が暗殺されている。
趙姜政(B.C.21〜B.C.2)
趙殷政の長男。本来は6代国王になる予定であったが趙殷政の早すぎる死によってある程度の年齢に成長するまで趙燕政が国王となったが彼が成熟する前に病死した。これは劣性遺伝子による病気と短命が原因とされている。

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