架空国家を作ろうの1.1世界線です

国家情報

100年〜290年
国名タガログ王国
公用語タガログ語
首都ダグパン
初代国王チョ=フラ
7代国王ルフラ=フラ
政治体制王政
通貨物々交換・中国からの渡来品
5世紀から9世紀にかけて存在したタガログ王国については第二次タガログ王国?を参照。
11世紀から16世紀にかけて存在したタガログ王国については第三次タガログ王国?を参照。

概要

2世紀から3世紀に存在したタガログ人の国家。ルソン島北部に存在した東越を除けば国内初の国家である。僅か200年しか存在しなかったもののこの国家が誕生したことがきっかけで国内に様々な国家が誕生するきっかけとなったことで歴史的に見ても重要な国家となっている。

国内情報

歴史

実は初代国王チョ=フラは東越の官僚の子孫だったと言われている。そのためか彼が建国する前から入念な準備を行って建国している。
その為、建国時の領土は村5つ、人口2000人を超えていた。そのほぼ全てがタガログ人であり、東越建国時と同じように彼は国家という存在について教え込むことに生涯をつぎ込むこととなった。しかし、同時にこれによってタガログ人の間で自分たちの国はここだという意識が芽生え、それが幾度となくタガログ人の国家が形成されるきっかけとなっている。チョ=フラの死後、二代目国王(名称不明)は周辺のタガログ人たちを吸収する形で領土を拡大していった。タガログ人はこの時期この周辺に固まって住んでおり、同じ民族のタガログ王国を比較的容易に受け入れたとされているがこの時期の資料がほぼ現存していないために当時の様子は憶測でしかわからない部分が多く存在している。ダグパンに城塞が築かれるようになったのもこの時期とのことらしいが詳しい建築方法などについては一切判明していない。
3代国王リ=フラの代になるとタガログ王国は安定した国家として成立するようになっていた。それを受けてリ=フラはタガログ人が住む地域の外への遠征を開始した。これは事実上他民族を支配する事と同じであり、リ=フラはその覚悟をもって遠征をおこなった。しかし、リ=フラの遠征は失敗に終わった。というのも当時周辺には後にイリュクノ王国を建国する勇猛果敢なイリュクノ族やタガログ人とほぼ同数の人口を誇るイロカノ人などが存在していた。それゆえにこの遠征による他民族の支配も一筋縄ではいかず、結局リ=フラは周辺地域を少し手に入れただけで一生を終える事となったが4代国王イブラ=フラはこの経験を生かして支配による領土の拡大ではなく懐柔による領土の拡大をすることを決定した。
まず、周辺地域の他民族との交易を行い、少しずつ関係を深めて友好的な関係を作ると自国の領土に組み込むことを提案。その際に相手が不利にならないようにすることで相手の反発を防ぎつつ周辺地域を支配下に置くことに成功した。このイブラ=フラの行動によりタガログ王国の領土は倍近くにまで広がり、最盛期と呼ばれる時代となった。
しかし、192年に次期国王となるはずだったカリィ=フラが死去し、孫に国王を継がせようとしたがカリィ=フラの弟であるミカル=フラが反対。長男を失い一気に老け込んでいたイブラ=フラはミカル=フラの言うがままに彼を次期国王に定めた。とはいえミカル=フラを慕う人物は多く、一族の半分以上がこの決定に賛同していた。それに加えてマンマ=フラが粗暴で荒々しい性格をしていたこともあり彼が国王になる事に懐疑的な思いを持つ者が多かったことも拍車をかけていた。
212年、イブラ=フラが死にミカル=フラが国王となるとタガログ人達の反応は様々であった。もともと長男一家の家系が国王となる事が暗黙の了解として存在していたために当時25歳のマンマ=フラを差し置いて国王になるのはどうかという意見が存在したからである。しかし、意外にもミカル=フラの他民族とも強調する姿勢を知っている他民族はこれを受け入れて祝福している。マンマ=フラはタガログ人による王国を作りたいと考えていて他民族を排斥する傾向にあるから彼に国王となってほしくはなかったという思いもあった。
しかし、当然ながらこれをマンマ=フラは受け入れられずに215年にクーデターを発生させた。それ以前にマンマ=フラは自身の長男と次男を殺し、ミカル=フラ側の仕業に見えるような証拠を残させていた。更に自身が暗殺されかけることでミカル=フラが自分を恐れて殺そうとしていると宣言し、クーデターを起こしたのである。
マンマ=フラの言葉にタガログ人の6割ほどが納得し彼側についていた。そしてミカル=フラが対応する間もなく彼の一族や自分に歯向かった者を粛清していき、僅か1月でクーデターは成功に終わった。このクーデターにより王国は一時的に混乱に陥り、さらにはマンマ=フラの国王即位を聞いた他民族が次々と王国から離反したことでタガログ王国の領土はリ=フラの遠征以前にまで戻ってしまっていた。
国王となったマンマ=フラは離反した他民族への懲罰遠征を開始した。この遠征によりイロカノ人は8割近くが殺されたとされ、今日にイロカノ人と呼べる民族が残らない直接的な原因となった。更にもともとルソン島西部に住んでいたイリュクノ族はこの遠征を恐れて東に逃げ延び、のちにイリュクノ王国を建国するきっかけとなっている。
マンマ=フラの死後、王位は三男であったチュル=フラが継いだが遅くに出来た子であったために甘やかされて育った彼は見事に愚王と化した。国庫を浪費のために使い果たし、気に入らない人物は次々と処刑。更には仮と称して他民族を虐殺するなどマンマ=フラ以上に他民族を虐げるようになったことで他民族の不満が爆発。彼の晩年に周辺民族が一斉にタガログ王国へと攻撃を開始した。これによってタガログ王国は290年に国家機能が崩壊する事となった。
そしてこのタガログ王国の崩壊をきっかけに周辺の民族は自分たちの国家を作り上げていくことになり、約30年後にはイリュクノ王国が建国される事となる。
王国崩壊後のタガログ人は村単位のコミュニティで細々と生活していたがイリュクノ王国が西部にまで領土を広げたことをきっかけに再びタガログ人としての意識が覚醒。チュル=フラの三男の子孫であるルーラ=フェル・マグを筆頭にイリュクノ王国の侵攻をアラミノス会戦で退けると新たな王国の建国を宣言し(第二次タガログ王国?)、再びタガログ人の国家を持つにいたる事となる。

領土


最盛期にはルソン島西部から中央部にかけての領土を支配していた。領内は中心地に近づくほどタガログ人のみで構成され、外延部はそれ以外の他民族が住んでいたとされる。そしてその間に位置するタガログ人たちは様々な他民族と交わり混血となっていき、タイタと呼ばれる混血種を形成するに至った。彼らはタガログ王国崩壊後は他民族からの弾圧を避けるために北上。丁度東越とタガログ王国の中間地点付近で自分たちの王国を建国する事となった(タイタ=タガログ王国?)。

政治

東越に倣い王政であったとされているが実際には初期の段階では各村の村長と話し合いで決定する合議制であった可能性が示唆されている。王政となったのはリ=フラが遠征を行い始めてからといわれている。

歴代国王

チョ=フラ(63〜119/100〜119)
初代国王。父親の方が他民族であったとされており、そちらが東越の官僚の家系であったとされている。東越の統治方法や国家としての在り方を記した書類を多数所有していたためにそれらをもとにタガログ王国を建国した。東越の初代国王である趙琳燕と同じように彼も生涯をかけてタガログ人の意識改革を行うこととなった。
名称不明(98〜143/119〜143)
二代目国王とされているが名前は分かっておらず、また彼の時代の資料が驚くほど少ないためきちんとした情報が分かっていない。それでも彼の時代にタガログ人が一つの国家の下で纏まったことは事実であるとされている。
リ=フラ(121〜183/143〜183)
三代目国王。彼の遠征失敗から無能の烙印を押されていたが近年の調査で歴代国王の中で最も優れた人物であったとされている。というのも彼の遠征は一定の成果を残しており、失敗の要因についても彼が率いていたタガログ人よろ他民族の方が人数が多かったこと、塀のタガログ人が勝手に帰還するなど士気が低かったことなどが挙げられている。そもそもこの時代のタガログ人は周辺の他民族の数を正確に把握していなかったとされており、リ=フラが巧みな指揮を執っていなければ全滅していた可能性が高いとされている。
遠征の失敗に関してもきちんと反省点を挙げ、二度と同じ失敗をしないように対策を講じている。更に遠征後に略奪目的で他民族が侵略してくることがあったがそれらすべてを退けている。
イブラ=フラ(146〜212/183〜212)
タガログ王国の最盛期を築き上げた人物として有名で、カタガルガン=マハルリカ社会主義連邦の教科書にも載っている人物だが能力的にはそこまで高くはないと考えられている。そんな彼は話術が得意で人と簡単に仲良くなれる性格をしていたとされている。それがタガログ王国の最盛期を築き上げるきっかけになったとされている。しかし、彼の能力の低さはこの後代々に渡り引き継がれたかのように愚王と呼べるような国王が続く事となった。
ミカル=フラ(167〜215/212〜215)
五代国王。イブラ=フラの人の好さとリ=フラの能力の高さを兼ね備えた人物とされており、実際タガログ人からの支持はあまり得られていなかったが他民族からの支持はとても高かった。タガログ人についても時間をかければ支持を得る事は可能だったとされている。しかし、そんな彼は兄の息子であるマンマ=フラのクーデターによって一族もろとも殺された。彼が国王のままであればタガログ王国がさらに勢力を伸ばし、イリュクノ王国の建国もなかったとされている。
マンマ=フラ(187〜269/215〜269)
六代国王。タガログ人による単一国家を目指した人物であったとされている。そのため、彼は幼少期より他民族に対して無礼な態度や行動が目立っていたが孫可愛さにイブラ=フラが叱る事はなかったとされている。そんな彼だが当初は次代の国王となるはずだったがミカル=フラの進言により外される事となった。それを恨んだ彼は自らの息子を犠牲にして支持を集めるとクーデターを実行。ミカル=フラやそれに協力する者を処刑していった。
国王即位後はマンマ=フラを嫌い離反した他民族への懲罰遠征を半世紀にわたって行いイロカノ人の絶滅やイリュクノ族の大移動などを引き起こした。
息子二人を殺したためか遅く誕生したチュル=フラを溺愛していた。結果として彼は愚王として成長する事となりタガログ王国滅亡の原因となってしまった。
チュル=フラ(229〜287/269〜287)
七代国王。歴代国王の中で最も愚王といわれている人物であり、それを証明するように彼が行った政策は一つとして存在していない。それにもかかわらず他民族を奴隷にしたり国庫を勝手に使って豪遊するなど贅沢の限りを尽くしている。結果的に彼が死ぬ5年前には国家運営が難しくなるほど困窮する事となり、足りない分は他民族からの略奪で賄われていたという。これらの行動からタガログ王国滅亡の最大の原因とされている。
ルフラ=フラ(253〜290/287〜290)
チュル=フラの長男にして八代国王。彼自身は特に秀でた能力も劣った部分も性格が悪いわけでもないが即位してすぐに他民族の侵攻が始まった結果的に彼が対応しようにもできない状態となり最終的に彼は他民族の者達によって処刑された。

国王以外の王族

メリ=フラ(103〜174)
チョ=フラの三男で縁戚として国王を支えてきた。彼の子供たちも同じようにタガログ王国に仕えたが最後のエン=フラの時にミカル=フラについたためにマンマ=フラに殺された。
ミュリオネ=フラ(196〜215)
イブラ=フラの三男の一人娘。同じタガログ人のユルン=メリエと婚姻したが父親のルラル=フラがミカル=フラ側についたために巻き込まれて殺された。しかし、彼女が生んだ子供はメリエ家で匿われて助かり、のちに第三次タガログ王国?の初代国王の伴侶となるチェルラ=メルン・アルまで続く事となる。
デフ=フラ(254〜311)
ルフラ=フラの弟。タガログ王国滅亡後はタイタとともに北方に逃れて他民族からの処刑を免れた。タイタ=タガログ王国?では平民として生涯を暮らしたがタガログ王国の王族の性であるフラは代々守り続けられることになり、最終的に第三次タガログ王国の初代国王になるアハカン=レ・フラにまで受け継がれ、タガログ王国がフラ家の一族で再興される事となる。

軍事

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

国際社会・各種データ

国際機関

軍事同盟

国際イベント

各国データ

宇宙

宇宙

人物

人物

その他

歴史・設定

歴史

メンバーのみ編集できます