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国家情報

320年〜789年
国名イリュクノ王国
公用語イリュクノ語
首都カバナトゥアン
初代国王ウブラ・エババ
最終国王エルビア・エババ=イリュクノ
政治体制王政
通貨石貨

概要

イリュクノ族が建国した国家でルソン島中央部を領土とした。特にヌビラ・エババの時代には領土的最盛期を迎え、ルソン島の半分以上を支配下に置く一大王国を築き上げている。
更に789年には最後の国王エルビア・エババ=イリュクノが自らを高祖帝と称してイリュクノ帝国の建国を宣言している。

国内情報

歴史

タガログ王国の崩壊後、様々な短命国家が誕生した。しかし、それらは王国としてのノウハウがないためか全て一代限りの国家で終わっている。そんな中で誕生したのがイリュクノ族によるイリュクノ王国である。初代国王ウブラ・エババはそれらの短命国家とタガログ王国の統治を調べ上げ、国家建国に必要な情報を集めた。それを受けてウブラは建国した。もともとイリュクノ族の族長だった彼の建国にイリュクノ族は付き従うこととなった。
ウブラの死後イリュクノ族は国家を建国したことに気をよくしたのか周辺地域への侵略を開始した。イリュクノ族は他民族を奴隷として労働につかせ国内の開発を行っていった。それにより反抗する民族もあらわれるが彼らはタガログ王国や東越がもたらした製鉄技術を十分に活用して鉄製の武具の量産に成功していた。更に国王の下一つに団結する彼らに次々と敗れ去っていくこととなる。
そんな中で国王に即位したのがヌビラ・エババであった。彼は線上においては自ら剣をもって戦いに参加するほど血気盛んな性格をしている一方で国内の荒れ地の開墾や道路の整備など国内の開発にも力を尽くすなど文武両道に優れた人物であった。彼はルソン島中央部を中心に支配下を広げていき、429年には領土的最盛期を迎えることとなった。しかし、433年にタガログ族とのアラミノス会戦で敗れて以降は征服した民族の反乱が相次ぐこととなり、彼の死の直前には領土はかなり減少していた。
これを機にイリュクノ王国は500年前後まで衰退の一途をたどることとなり、一時期は領土を完全に喪失。王族はカラマ王国?に逃げることとなったがカラマ王国が内乱で滅びてからは再び故郷に戻り自分たちの土地を奪還。イリュクノ王国を再スタートさせた。
570年にはヌビラ・エババ即位前の領土にまで領土を取り戻すことができ、ルソン島以外との交易も行い始めた。600年代には隋・唐に使者を派遣して朝貢国にまでなるなど対外政策を行っている。
そしてこの貿易によってイリュクノ王国は大きな発展を遂げることになる。650年には国内初の中華風の王宮が建設され、中華風の街並みが主要都市に築かれた。中華風の文化が咲き乱れ小中華の異名を誇るほどの繁栄を見せた。しかし、イリュクノ族の伝統文化が廃れる事を恐れたこれ以降の国王たちは唐との距離を少しづつ置き始め、700年代には唐との貿易はほぼ行われなくなっていた。そんな中で小中華と呼ばれた街並みはイリュクノ族の文化とまじりあい独自の文化へと変わっていくことになった。
752年、第二次タガログ王国?が攻勢を仕掛けてくるようになった。アラミノス会戦での勝利後に建国したタガログ人達はルソン島中央部西部を支配する大国に上り詰めていたが当代の国王マスバ=フィーラ・マグは剛勇にして緻密な戦術を得意とする戦上手の国王であったためにイリュクノ王国はアラミノス会戦以上の大敗を喫す事になった。幸いにもマスバ=フィーラ・マグの攻勢は長くは続かずに終了したがそれでもイリュクノ王国が失った領土を取り戻すことはできずに終わることとなった。
789年、国王に即位したエルビア・エババ=イリュクノは即位前より考えていた皇帝に戴冠を宣言、国号をイリュクノ帝国に帰ると同時にルソン島の統一を目指すことを宣言した。

領土

イリュクノ王国は4世紀から8世紀にかけて存在した国家だけあり領土は増減を繰り返していたが領土をすべて損失した時期を除き全ての代で首都をカバナトゥアンにおいていたために王国の中心地として栄えることとなった。
定義としてヌビラ・エババが即位していた429年〜433年を黄金期、その後の国家の滅亡時を衰退期、600年代以降を繁栄期としている。

通貨

イリュクノ王国はタガログ王国でも用いられていた貨幣経済を導入していた。しかし、当時の技術では銅や鉄を大量に貨幣にするには技術も時間も足らず、代用として石を加工した石貨を貨幣として使っていた。これは安価で大量に生産が可能という利点があったが同時に複製もしやすいというデメリットが存在した。そのため、イリュクノ王国後期には銅や鉄と合わせた貨幣や複雑な模様を書くなどの対処を行っている。
これらの石貨はスペインによる植民地後に価値のない物としてぞんざいに扱われたことで現存する物は非常に少なくなっている。それを物語るように2020年に地主の倉庫の地下から大量の王国初期の貨幣が発見されたときにはニュースにも報道されるほどの衝撃が走っていた。

統治

イリュクノ族のみを優遇する民族主義的統治が行われていた。征服された土地の他民族は基本的に奴隷とされており、アラミノス会戦後の反乱の原因になっている。それを受けて600年以降は従順な民族には特権や土地を与えるなどして扱いに差をつけることで互いに反目し協力を出来ないようにしたうえで協力的な他民族を作り上げることに成功している。
この統治方法はイリュクノ帝国にも受け継がれていくことになった。

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