架空国家を作ろうの1.1世界線です

近畿旅客鉄道
福知山線
大日本帝国
所在地摂津県 丹波県
起点尼崎駅
終点福知山駅
駅数
開業
所有者近畿旅客鉄道
運営者
路線距離106.5km
軌間1,067mm
線路数複線(尼崎駅 - 篠山口駅間)
単線(上記以外)
電化方式直流1,500V
架空電車線方式
閉塞方式自動閉塞式



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概要

福知山線(ふくちやません)は、摂津県尼崎市の尼崎駅と丹波県福知山市の福知山駅を結ぶ近畿旅客鉄道の鉄道路線である。篠山口駅以南は複線、以北は単線であり、日中は篠山口駅を境に運転系統が分かれている。

駅一覧

駅名駅間
キロ
営業
キロ
接続路線所在地
尼崎駅-0.0近畿旅客鉄道東西線東海道本線摂津県尼崎市
塚口駅2.52.5
猪名寺駅1.43.9
伊丹駅1.95.8伊丹市
北伊丹駅2.17.9
川西池田駅3.111.0阪急電鉄宝塚本線?(川西能勢口駅)川西市
中山寺駅3.514.5宝塚市
宝塚駅3.317.8阪急電鉄宝塚本線? 今津線?
生瀬駅1.919.7神戸市有馬区
名塩駅2.221.9
武田尾駅3.225.1宝塚市
道場駅5.030.1神戸市有馬区
三田駅3.633.7神戸電鉄?三田線?三田市
新三田駅3.236.9
広野駅2.839.7
相野駅4.344.0
藍本駅4.248.2
草野駅2.350.5丹波県篠山市
古市駅3.053.5
南矢代駅2.656.1
篠山口駅2.358.4近畿旅客鉄道篠山線

歴史

川辺馬車鉄道・摂津鉄道

現在の福知山線の基となった川辺馬車鉄道は、尼崎と伊丹の伊達尊親・梶源左衛門・小西壮二郎ら13名が発起人となり、1887年(明治20年)に設立された。この時の計画路線は江戸時代からの街道に沿ってクネクネと曲がっているものだった。
川辺馬車鉄道の設立者たちは1889年(明治22年)に神崎−伊丹−篠山−福知山−舞鶴間を結ぶ摂丹鉄道の設立を出願した。これは川辺馬車鉄道を延長し、蒸気鉄道に変更する計画であった。当時、軍港として発展が見込める舞鶴へ至る鉄道敷設は、摂丹鉄道のほかにも、京鶴鉄道(京都−舞鶴)、舞鶴鉄道(大阪−園部−舞鶴)、舞鶴鉄道(大阪−綾部−舞鶴)、南北鉄道(加古川−舞鶴)、播丹鉄道(姫路−生野−舞鶴)の5つの民営鉄道が舞鶴への鉄道敷設に名乗りをあげており、積極的な免許許可運動が展開された。
1891年(明治24年)2月に起工、7月に大物−長洲間が仮開通し、尼ヶ崎(後の尼崎港)まで開通する。その後、運行距離を伸ばし、同年9月には、川辺郡庁所在地の伊丹まで開通した。官線(現在の東海道本線)との乗換駅となる長洲駅付近では、官線と直角平面交差となっていた。路線計画では、伊丹停車場から2又に分かれ、生瀬、小戸(現在の川西池田駅)へと向かう計画線となっていたが、川辺馬車鉄道時代には実現していない。

馬車鉄道では輸送力が小さく、開業当初から輸送需要に応えきれなかった。貨車も保有し貨物も取り扱っていたが、安定した営業となっておらず、馬車鉄道の形態では限界があった。結果、蒸気動力を用いた軽便鉄道としての「摂津鉄道建設願」を川辺馬車鉄道の名前で1892年(明治25年)6月に提出。川辺馬車鉄道を解散し、別会社として摂津鉄道が設立されることになったのである。
1893年(明治26年)3月より伊丹駅−池田駅間の延伸工事を開始した。川辺馬車鉄道とは軌間が異なっていたため、尼ヶ崎駅−伊丹駅間の改軌工事も同時に行っている。同年10月より尼ヶ崎駅−賀茂間で試運転を行い、同年12月に尼ヶ崎駅、長洲駅、伊丹駅、池田駅の4駅で開業。1894年(明治27年)3月に大物駅、塚口駅、伊丹南口駅も開業した。馬車鉄道では尼ヶ崎駅−伊丹駅間が1時間を超えていたが、尼ヶ崎駅−長洲駅間を約9分、長洲駅−伊丹駅間を約18分で交通できるようになった。
しかし、川辺馬車鉄道では許されていた平面交差が認められず、汽車が官線をまたぐことは許可されなかった。このため、長洲駅を官線の北側と南側の2か所に分けて、列車は折り返し、乗客は歩いて乗り替えを行うこととなった。ただし、貨物のみ人力で押しての通過は認められていた。
その後、日本海側の重要な軍港であった舞鶴への鉄道敷設計画がさかんに立てられており、摂津鉄道もそれらの中に組み込まれていくこととなった。最終的に1897年(明治30年)2月、大阪から舞鶴までの鉄道を計画していた阪鶴鉄道に路線を売却して解散した。

阪鶴鉄道

1895年(明治28年)に阪鶴鉄道は会社組織として設立された。しかし同じく舞鶴への鉄道敷設を競っていた京鶴鉄道に京都−綾部−舞鶴間の仮免許が下りたため、阪鶴鉄道には福知山−舞鶴間は下りなかった。また、神崎(現在の尼崎)−大阪間も、官鉄線と並行しているという理由で仮免許が下りなかった。その結果、仮免許を得たのは神崎−福知山間だけであった。1897年(明治30年)2月に摂津鉄道を合併し、12月に池田−宝塚間が開業。1898年(明治31年)6月に塚口−官鉄線神崎間が開業した。1899年(明治32年)には宝塚以北が1月に三田、3月に篠山(現在の篠山口)、5月に柏原と順次延伸され7月に福知山南口まで開通した。
その頃、阪鶴鉄道が接続するはずの京鶴鉄道は建設が難航し、福知山−舞鶴間が開業していなかったため、阪鶴鉄道は1899年(明治32年)12月に改めて福知山−八田−舞鶴および宮津間の鉄道敷設を申請したが、却下された。このため阪鶴鉄道は、宮津まで由良川の舟運による接続を計画し、1901年(明治34年)12月に福知山南駅より人力車を使い蛇ヶ端乗船場までいきそこから川船で河守までさらに由良までは由良汽船を設立し第一由良川丸と第二由良川丸を建造し輸送。
その後、1902年(明治35年)4月に京鶴鉄道の免許は取消となり官設鉄道が敷設することとなり、1904年(明治37年)11月に新舞鶴−福知山間が開通すると、あわせて阪鶴鉄道も福知山南口−福知山間を開通させ、官線福知山−新舞鶴間を借り受けついに大阪−舞鶴間の直通運行が実現した。そして 丹波・若狭地方との連絡のため舞鶴より宮津、境、小浜などへの連絡船の運営を開始した。

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